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建築の魅力

 創立の理念のもとこれを表現した建造物と事業が脈々と受け継がれ、まもなく開館60周年を迎える大学セミナーハウスは、世界的な建築家であるル・コルビュジエの教えを受けた吉阪隆正の設計です。ことに、「大地に知の楔(くさび)」をコンセプトとした本館は、建築としての評価も高く、1999年に「日本におけるモダン・ムーブメントの建築No.019」として、DOCOMOMO Japanより選定されました。さらに50年という歴史的価値も加わり、2017年3月には「東京都選定歴史的建造物」にも選定されています。
~ル・コルビュジエ、吉阪隆正、大学セミナーハウス~
 ル・コルビュジエといえば、主にフランスで活躍した、近代建築の世界的巨匠として知られます。彼の作品、上野の国立西洋美術館が世界文化遺産に指定されたことは記憶に新しい出来事ですが、彼のもとで修業した日本の有名建築家が三人います。一人は東京文化会館や都美術館を設計した前川国男、二人目はアンスティテュ・フランセ東京や新宿駅西口広場設計の坂倉準三、そして三人目が敗戦後第一回のフランス政府給費留学生として渡仏した吉阪隆正です。

 前川、坂倉が建築文化に多大な貢献をしたのは言うまでもないことですが、吉阪隆正もこれに劣らず日本の建築界に大きな遺産を残しました。その一つが八王子市にあるこの大学セミナーハウスで、楔形の本館はじめ様々のユニークな形の建築物が並び、周りの自然に溶け合って見事な景観を作り上げています。

 1965年に開館したセミナーハウスもすでに50有余年、数多くの教育関係者や企業のご協力で連綿と続いています。2017年、八王子市最初の東京都選定歴史的建造物に選ばれたことを誇りに思います。
 
大学セミナーハウス 前館長 鈴木康司

2017年3月 東京都選定歴史的建造物に選定

2017年3月
東京都選定歴史的建造物に選定

2017年5月 ドコモモジャパン 選定プレートの贈呈式

2017年5月
ドコモモジャパン 選定プレートの贈呈式

2017年5月 ドコモモジャパン 選定プレート 記念撮影

2017年5月
ドコモモジャパン 選定プレート 記念撮影

*見学を希望される方は、来館時に本館1Fフロントへお申し出ください。

建築ディテール

本館をはじめとした建物には、それぞれ細部に機能を形にしたデザインが見られます。特徴的なポイントを一部紹介します。
 本館は、屋根をはじめ床、基礎などにもシェル構造が採用されています。
 外観はもちろん内部も至る所が“斜め”になっており慣れるのに少々時間を要します。また厳密なフロアーの設定がされていないため自分が何階に居るか分からなくなることもあります。
 建物の外周にスペースをつくり、広い最上階には200名を収容できる食堂がつくられるなど楔の形状はセミナーハウスの理念をあらわすだけでなく機能も満たす形として決まりました。

“大地に知の楔(くさび)を打ち込む”が形となった大学セミナーハウスのシンボル・本館

目のレリーフ

コンクリートブリッジ

エントランスの庇

杉板型枠の打放しコンクリートの肌理(きめ)、フロアを表すライン、形の異なる窓枠

ラウンジ階段①

ガラスブロックのトップライト

ラウンジ階段②

ガラスがはめ込まれた明かり取り

手摺① 断面は葉の形

手摺② 触る、掴む、滑らせる、寄りかかる、もたれる、腰掛けるなど人との関係が考えられている

手摺③ 現場で適切なサイズに切り取られたという

本館最上階の斜めな壁。窓から多摩丘陵がみえる

眼のレリーフの内側には明かり取りの窓がある

長期館室内の構成がデザインされた建物入り口ドア

講堂エントランスのドア把手
本館入り口、ブリッジ出入り口にも同様の把手があった
※本館入り口の把手は現在修復中

松下館通路の手摺
松下館は手摺はもとより建物の様々なところにアーチや曲線が散りばめられており、このしなやかさが自然と調和しているポイント

図書館セミナー室テラスの手摺
横一列に並び、建物にゆたかな表情を与えている

松下館の手摺
木の葉をデザインした手摺がセミナーハウスのあちこちに見られる
 

記念館の手摺
重なり合う様が美しい

本館ブリッジにあるグレーチング
細部までこだわりぬかれたデザイン

中央セミナー室の押手。ここにも木の葉が。持ちやすさ、押しやすさ、引きやすさを考えた形

講堂の軒先にある雨受け
講堂はシェル型の屋根など丘の地形に溶け込むような造形が展開されている
多摩丘陵の自然とともに過ごす場所に、細部のデザインが多彩な表情を与えている

 

松下館屋上にある真理の鐘
高岡銅器として古来名鐘産地の鋳物師に注文してつくられた。設立に尽力された佐藤喜一郎氏の筆になる【真理】の二文字が鋳込まれている

松下館宿泊室の部屋番を示すプレート
オリジナルの数字デザイン

国際館セミナー室の部屋番を示すプレート
のぞき窓に合わせたデザインのアルファベット

建設の目的と変遷

 1950〜1960年代の高度成長期に、設立提唱者である飯田宗一郎がマスプロ教育が行われている日本の大学に疑問を持ち、国公私立の大学をつなぐ教育の場、また、教師と学生の心の交流をはかり、寝食をともにしながら議論し学ぶ、合宿研修センターのような施設をつくりたいと願い、多くの大学、経済界の人々の賛同、協力をえてつくられました。
 
 “セミナーハウス”という語は飯田の造語ですが、“セミナーハウス”を形に落とし込んでいったのが
ル・コルビュジエのもとで修業した早稲田大学教授の建築家 吉阪隆正(1917~1980)と、吉阪主宰のU研究室のメンバーです。

 ・美しい多摩の丘陵を傷つけずに生かすこと
 ・200名をどんなグループ分けにするか
 ・大学セミナーハウスを象徴する形は何か
 吉阪が立てた3本の柱をベースに初期マスタープランがつくられました。

【初期マスタープラン】
 200人を1対1の関係の集まりとし“ユニットハウス”7つの群、15-20人の小・中セミナー室、50人の中央セミナー室、100人の講堂、200人の食堂と段階的に大きなグループができるように考えられています。

 いろは坂から本館。本館からサービスセンター(現交友館1階)へとつながる中央直線道路、それから展開する100のユニットハウス群。これらがセミナーハウスの全体の骨組みでした。自然の地形を活かし、各建物が位置、形まで自然にあるべきところにぴたりとはめ込まれています。
 また、地形に沿って網み目のように廻らされた道は、建物をつなぎ、自然や人の出会い場となっています。


  1期-3期【初期マスタープラン該当期】
1期1965年竣工 本館宿泊棟(ユニットハウス)100棟中央セミナー室サービスセンター、職員宿舎
2期1967年竣工 講堂図書館
3期1968年竣工 教師館(松下館)、テニスコート

 その後も使いながら、時代の要求に応じてつくられ続けてきました。

 4期-5期 長期研修館(現・長期館)大セミナー室(現・長期館セミナー室B)は、文部省の積極的な支援で実現しました。
 開館5年の経験がつくりだした教育活動の場所です。
 既存の施設と萱橋で接続され、ここまでの建物は斜め、曲線がデザインの柱でしたが、ここはこれまでと対比して、水平、垂直、平面で構成されています。

 6期 大学院セミナー室 遠来荘(民家移築)
 大学院セミナー室はもともと飯田館長の息抜きできる場所、野外パーティーができる場所がほしい、が発端でした。しかし、セミナー室が不足していたため、セミナー室として増築され、大学院生のセミナー、研究会などの場となりました。
 遠来荘は、多摩鑓水の100年経った民家を移築しました。2008年に解体移築され現在はありません。四国の地でリニューアルされています。(移設先は愛媛県西条市)

 7期 国際セミナー館(現・国際館) 国際化してくる経済、社会、文化の接触交流の場として、谷を隔てて宿泊棟を増やしました。
 交友館 喫茶など憩う場所、コミュニケーションをはかる場所として第1期工事のときに建てたサービスセンターの上に増築しました。窓を開けると丹沢方面などが見え風光明媚で開放感あふれます。この建物は麒麟麦酒株式会社の寄贈で建てられました。

 8期 開館20周年記念館 開館20周年を記念して宿泊棟を増築しました。別名インターナショナル・ロッジと名付けられ、国際的知的交流事業および東南アジア諸国からの留学生と日本人学生との緊密な交流をはかる場所として建てられました。

大学セミナーハウス1965年-1989年
第1期 1965年
 
本館、宿舎ユニットハウス100棟、セミナー室
7室、中央セミナー室、サービスセンター、職員宿舎
第2期 1967年 講堂、図書館
第3期 1968年 教師館(松下館)、テニスコ-ト
第4期・第5期 1970年 長期館、大セミナー室、茅橋、野外ステージ
第6期 1975年 大学院セミナー室、遠来荘(民家移築)
第7期 1978年 国際館、交友館、池、一福亭
第8期 1989年 インターナショナル・ロッジ ・開館20周年記念館(記念館)

 第1期から第8期までの期間、その間の1980年に吉阪隆正は亡くなりますが、没後に竣工した記念館も、それまで共同で設計していたU研究室によりつくられ続けてきました。
 現在では、老朽化したユニットハウスを解体しあらたに宿泊棟「さくら館」や食堂棟「DiningHallやまゆり」が、また開館40周年記念事業として「留学生会館」ができ、大学セミナーハウスは時代に合わせて歩みを進めています。