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日本の教育の新しい柱の誕生

大学セミナーハウスにはじめて参上したのは1967年助教授3年目の時で、安藤英治先生にお誘いを受けたのがきっかけである。まだ本館やユニットハウスなどがあるだけで、建設中の赤土が強く印象に残った。これから講堂・図書館が建つという。しかし当時はまだ若かった飯田宗一郎専務理事や数名の事務局の人は共に新しい教育の場に情熱を燃やしていた。

事務局の人たちとほぼ同年輩の私は、その雰囲気にすぐ溶け込んだ。当時は学生運動が盛んで優れた指導者の言論も軽視されがちであったが、ここでは大浜信泉先生や茅誠治先生などの考え方も面白く伝えられた。私は委員になる前であったが、千人会や共同セミナー委員会などの設立の議論にも参加した。まさに独創的な教育方法の場である。

ここから初めての教育方法が提起され、やがて大学の講義や教員主導のセミナーと並置されて、新しい日本の教育の柱が築かれた。いまやおおいに発展してその教育の場の歴史が50年となったことを祝福したい。
大学セミナーハウス元常務理事、成蹊大学元学長 千人会会員
宇野 重昭