セミナー・イベント

第10回古代史セミナー~古田武彦先生を囲んで~
日本古代史 新考 自由自在(その6)

実施報告

実施日 2013(平成26)年11月9日(土)・10日(日)
会場 大学セミナーハウス(東京都八王子市下柚木1987-1)
※交通案内はこちら
主催 公益財団法人大学セミナーハウス

講演者

歴史学者・元昭和薬科大学教授
古田 武彦氏

趣旨文

日本古代史 新考 自由自在(その6) 
  この十一月、この八王子で皆様にお会いできるならば、わたしにとって天与の幸せと言う他はない。
 すでに一昨年九月、「畢生の書」として『俾弥呼』を公刊した。今年の秋には『研究自伝』(同じく、ミネルヴァ書房)が上梓されよう。いつ、何時、この生を終えても、悔いるところは全くないのである。
 けれども、余命ありとすれば、運命の神の望み賜うところ、今なお残されているのであろうか。
 もちろん、課題は多い。上の両書を書き終えた今、日本の歴史の古代から現代に至る「疑問」は消滅したか。とんでもない。逆だ。これまでの「未知のテーマ」が続出し、新たな出発点に立った。『研究自伝』に明記した通りである。
 しかしそれは、日本だけの歴史ではない。中国やアジア、また西欧などの「公的な歴史」は、すべて「現存の権力」の正当性を証明するために「公定」されてきた。その「わく」という文脈の中で「国民の歴史」なるものを“設定”してきた。
 各宗教の各宗派の「教義」がその宗派を正当化するために作られているのと同じく、歴代の「知的ロボット」を量産してきたのだ。国境紛争も、相次ぐ国家間の「戦争」も、そこから生じた。その意味では「国家はアヘン」だったのである。
 もちろん、逆の側面がある。宗教や国家は、人類の生み出した、すばらしい「被造物」だ。そのおかげで、人類の地球における一大飛躍が遂げられてきた。それは確かだ。
 しかし、反面、その「害毒」にもまた、人間はようやく気付きはじめた。たとえば、原水爆、たとえば原発など、数十万年もの、「宗教」や「国家」の発生や終末を、はるかに越える、地球に対する「一大害毒」を防止できぬ、という「限界」が、疑うべくもなく明らかになってきたのである。釈迦も、イエスも、マホメットも、孔子やマルクスやケインズ等も、いまだこれらの「一大害毒」の存在を知らぬ「幸せな時代」に生き、そして去って行った人々なのであった。
 わたしは彼等を生んだ「宗教」や「思想」を尊敬する。そして何よりもわたし自身、日本の国家に対する、最深の愛国者であることを誇りとする。そのために、この生涯を賭けてきたのだ。だから知る。宗教や思想や国家のための新しい「時」の到来が近い。その前夜、その曙光の中にわたしたちはいるのである。それが今だ。―― では。
(二〇一三年五月十二日 記)
(古田 武彦)

実施報告

松本(大下) 郁子
  2013年11月9日(土)、10日(日)、「第十回古代史セミナー~古田武彦先生を囲んで~日本古代史新考 自由自在(その6)」が実施された。
 古田先生の「弟子」を自認する荻上紘一先生(八王子セミナーハウス理事)のご立案で始まり、毎年好例の企画となったこのセミナー、今年は記念すべき第十回目である。古田先生は御年87歳となられたが、昨年9月の『俾弥呼』(ミネルヴァ書房)に続き、今秋9月には研究自伝『真実に悔いなし-親鸞から俾弥呼へ日本史の謎を解読して-』(ミネルヴァ書房)を刊行、その探究の歩みはますます壮健である。古田先生の研究対象は日本古代史にとどまらない。近現代史や思想史、宗教論、そして国家論など、多岐にわたる。幅広い専門をお持ちの先生にご自身の最新の研究成果を思う存分、自由自在に語っていただくという趣旨で、このセミナーの副題は「自由自在」と銘打たれている。
今回の参加者は96名、昨年の89名を越え過去最多を数えた。直前になって欠席される方も出た結果この人数となったが、申し込みの段階では100名を越えていたという。参加者は常連の方が多く、毎年欠かさず参加される熱烈なファンの方も多数。10回皆勤賞の方も12名おられた。同窓会のようななごやかな雰囲気が、このセミナーの特徴である。その一方で初参加の方が20名、新たなファンを獲得し続けている企画でもある。
 一昨年までは、古田先生に2日間にわたって午前の部、午後の部にわけて長時間ご講演いただくという日程がとられていた。しかし昨年からは先生の体調に配慮して、ご講演の時間を短めに設定することとなった。1日目、2日目とも先生のご講演は午後からのみ、2日目の午前中は参加者による質問や意見を受け付けるというスケジュールである。
 今回のセミナーで先生が語られたテーマは、次の4点である。
 第一に、「邪馬台国」論争の総括について。
 たとえば「邪馬台国」の国名の問題。三国志の魏志倭人伝の女王国の国名が、もとの版本(中国の12世紀の版本)においては、いずれも「邪馬壹国」となっている。「邪馬台国」ではない。それなのに現代の古代史研究者たちは、近畿説の論者も九州説の論者もこれを「邪馬台国」として論じている。いずれの学者も「ヤマト」と読みたいがために、先に決めた“結論”に合うように資料を改竄し、それをもとに議論しているのである。これは学問の方法として間違っている。「邪馬台国論争」は今すぐやめるべき。どうしてもやるというなら「邪馬壹国論争」にするべきだと述べられた。
たとえば「日出ずる処の天子」の問題。その記述の直前に「阿蘇山あり」との風景描写がある。「日出ずる処の天子」は近畿の王者推古天皇ではありえない。そして、この天子には「雞弥(きみ)」という「妻」がいる。ということは、この天子は「男性」のはず。「日出ずる処の天子」は推古天皇、「女性」ではありえない。しかし「男性」と「女性」が同一人物でよい、このような荒唐無稽な説がまかり通り、誰もそれを疑わない。それが現在の日本の学界である。けれども中国人研究者張莉氏のように、多利思北孤と推古天皇は別人、別王朝であるとし、「九州王朝」説を是とする学者が出始めていると述べられた(後に詳述)。
 第二に、日本語の“孤立”の問題について。
 いわゆる言語学の世界では、日本語は孤立していて周辺の言語、たとえば韓国語、朝鮮語、またアイヌ語などとは関係がない、そう言われてきた。それが言語学の「常識」であり、おかしてはならぬ「大前提」とされてきた。しかし先生はこの「常識」に疑問を持ち、日本列島の周辺に古代日本語の痕跡を探し始めた。その結果、遠くアメリカ大陸の南米地方、エクアドルやペルーにも、古代日本語の痕跡が残っていることが明らかになった。さらにはシベリアの北極海近くに、原初の古代日本語の痕跡が発見され始めている。
いずれの痕跡も「地名」として残されていた。「地名」はもちろん、人間がたずさえて移動した痕跡だ。現在私たちがつかっている日本語は、日本列島の周辺からこの日本列島へやってきた人々がたずさえてきた言葉、その各種の言語の合成語なのである。この日本語を正しく学び、日本の歴史を正しく学ぶということはすなわち、周辺の言語を知り、世界の真実の歴史を知ることへと発展せざるを得ない。先生はそう述べられた。
 第三に、和田家文書について。
 「寛政原本」が出現してなお、和田家文書「偽書」説が虚勢をふるっている。しかし先生は「偽書問題はすでに解決済み」として、その内容を精査し抜くことが重要だと述べられた。
特に先生は秋田孝季の思想の深さに着目する。孝季は天地創造や生命の起源について、次のように記している。
「(前略)星界においても、生命あり、死骸あり。常々星も生死せり。
 是すなわち天地の創りにして、万物生命体の起源なり。
 拠て是を天然自然の原則と号く。かまへて天地の開闢を神なる創造と迷信するべからず」。
つまり孝季は、この宇宙においては星でさえも生まれ、やがては滅びる。これが万物の道理であって、国家も宗教も、国際連合も、命あるものは必ず滅びるとその本質を明らかにした。
これを先生は“孝季の公理”と命名した。ヨーロッパの“古典”にプラトンの『国家論』がある。これは副題に「正義について」とあるように、国家と正義の関係性について論じたものである。そのプラトンと比べても孝季の国家論は思想性が格段に高い。孝季を知らないのは、日本のみならず世界の人々にとって大きな不幸であると述べられた。
 第四に、張莉論文の出現と学問の未来について。
 中国人の女性研究者張莉氏(同志社女子大学現代社会学部准教授(特別契約教員))は玉稿「『倭』『倭人』について」(立命館大学白川静記念東洋文化研究所、第七号抜刷、2013年7月)を記し、その中で「九州王朝」説を全面支持した。
たとえば「邪馬壹国」について、「『邪馬壹国』は日本名で『ヤマ』と称される倭人の住む国をさすことになる。筆者は、この『ヤマ』を『邪馬壹国』の成立のはるか以前の北九州の地名であったと考える」と述べている。
さらには「多利思北孤」について、「俀国の王多利思北孤は男性の王であるから、女性の推古天皇や王でない聖徳太子ではありえない」と述べ、多利思北孤と推古天皇は別人、別王朝であると結論付けた。
「あとがき」冒頭には、「本稿を書き終えて、私の書き上げた『倭』『倭人』の説明が日本の定説でないことに、自分のことながら驚いている。だが、これらは私なりに日中関係の中国の古文献を解釈し、その論理の赴くままの結果である」と延べられている。
張氏は自ら「古田史学の会」代表の水野孝夫氏を通じて古田先生のもとに本稿を送られたという。
まさに古田先生にとっての研究上の「知己」の出現である。先生は久しく論じてきた。明治維新以降の、日本の学界や公教育の枠にとらわれることのない海外の識者は必ず「九州王朝」説の妥当であることを肯定するであろうと。その最初の人が張莉さんだったのである。しかし「九州王朝」説が「論理の導くところ」に赴いた結果である以上、これを是とするのは海外の識者にとどまることはない。必ずや日本の学界もこれを認め、公教育も教科書を正す日が来るだろう。その日は近い。「現在は疾風怒濤の時代の目の中にいる」。台風の目の中にいる時は無風。目が過ぎたらその時時代は大きく変わる。このように先生は述べられた。
 ご講演の最後に先生は、「『俾弥呼』を書き、研究自伝を書き、それでもまだ命が残っている。神様がこの世でまだまだ自分に何かをさせようとしているのだと思う。毎朝毎晩静かに物を考え、過ごしていきたい」と述べ、2日間にわたるセミナーを締めくくられた。
今年で十回目の区切りとなった古代史セミナーだが、荻上紘一先生やご参加の皆様の熱い御声望により、来年も開催される運びとなった。来年米寿の御年を迎えられる古田先生、ますますお元気で、私たちに熱弁をふるってくださることを願っている。

開催模様

講演者:古田 武彦 先生

開会挨拶:荻上紘一理事

講演の様子:今回は過去最高の96名様にご参加いただきました!

参加者の皆様同士でも活発な意見交換が行われました。

参加者の皆様のご質問に熱心に耳を傾け、適宜ご回答を頂く古田先生