セミナー・イベント

第9回古代史セミナー~古田武彦先生を囲んで~
日本古代史 新考 自由自在(その5)

実施報告

実施日 2012(平成25)年11月10日(土)・11日(日)
会場 大学セミナーハウス(東京都八王子市下柚木1987-1)
※交通案内はこちら
主催 公益財団法人大学セミナーハウス

講演者

歴史学者・元昭和薬科大学教授
古田 武彦氏

趣旨文

日本古代史 新考 自由自在(その5) 
わたしは今日も生きている。なぜか。おそらく運命の神がわたしに対して、「期する」ところが残っているからであろう。
昨年、わたしは書いた。「この本を書き終えたら、いつ死んでも、悔いるところはない。」と。畢生の書としての『卑弥呼』(ミネルヴァ書房刊)の原稿を書き終えたときである。五月末、三十一日だった。
爾来、一年間をすぎ、上の書も公刊を見た。しかも、わたしはなお生きている。神は、あるいは仏は何を求めたまうのであろうか。
この一年間の収穫は多彩だった。
先ず、尾崎康著『正史宋元版の研究』(汲古書院刊)だ。わたしが尊重した、三国志の「紹煕本」(宮内庁書陵部蔵)に対し、忌憚のない批判が展開されていた。その一つ、ひとつが「逆転」してゆく、新たな再批判の醍醐味。久しぶりに堪能した。
次は「邪馬壹国」。誰がこの国名を書いたのか。――卑弥呼その人だ。彼女の国書(上表文)の中の一語だった。「豆(とう)」は、神を祭る器具。「士」は「仕」(仕事とする)「冖」は器具の上の台板。それらを“合わせた”のが、この「壹」の字なのである。
陳寿はそれを知っていた。だから「爼豆の象、存す。」と。序文(三国志の序文。いわゆる「東夷伝序文」)に書いた。
「邪馬壹国」の一語は、陳寿にとって「三国志全体の中核となる」キイ・ワードだったのである(二〇一二年七月二十日の発見)。今回、詳述する。
次は和田家文書。大きな進展があった。「寛政原本」の発見は、この八王子の大学セミナーの最中での「事件」だったが、この文書が日本の歴史全体にとって占める、枢要の位置が段々と明らかになってきた。第一、「日本」という国号は、日本列島の「中」で“思いつかれた”ものではない。当然のことだ。列島内に住む住民が「自分のところから、太陽が登る」などと思うはずはない。「高天原」(タカアマバル)寧波(ニンポー)の地、いわゆる会稽山の下、杭州湾の人々(海士族)の「目」で、眼前の対馬海流(黒潮分流)の向う(東側)を指して「日ノ本」と呼んだのである。和田家文書を「日の本文書」と呼ぶ(久慈力氏)のも、偶然ではない。
明治維新以降のイデオロギー、「天皇家一元史観」の霧が晴れはじめたのである。
明日、わたしのいのちが終っても、「青天白日」の未来は、近い。
― 二〇一二年七月二十一日記 ―
(古田 武彦)

実施報告

松本(大下) 郁子
 2012年11月10日(土)、11日(日)、「第九回古代史セミナー~古田武彦先生を囲んで~日本古代史新考 自由自在(その5)」が実施された。
 このセミナーは古田先生の「弟子」を自認する荻上紘一先生(八王子セミナーハウス館長)のご立案で始まり、参加の皆様のご支持を得て毎年好例の企画となった。9回目となる今年の参加者は89名、昨年の86名を越え過去最多を数えた。参加者は常連の方が多く、中には毎年欠かさず参加される熱烈なファンの方もおられる。しかし今回は初参加の方も20名ほど、30代、40代の若い世代の参加もみられた。さらに、参加者が90名を越えると会場に入りきらなくなるため、お断りさせていただいた方もいることを職員の方からお聞きした。参加できない方が出てしまったことは残念だが、このセミナーに関心を寄せてくださる方が年々増えているという事実は、第一回目から毎年お手伝いさせていただいている私にとっても大変嬉しい。
 昨年までは、古田先生に2日間にわたって午前の部、午後の部にわけて長時間ご講演いただくという日程がとられていた。しかし今年は先生の体調に配慮して、1日目、2日目とも先生のご講演は午後からのみ、2日目の午前中は参加者による研究発表を行うというスケジュールとなった。
 このセミナーの題目は「古代史セミナー」であるが、先生に語っていただくテーマは古代史にとどまらない。副題に「自由自在」と銘打たれているように、近現代史や思想史、宗教そして芸術など、多岐にわたる。幅広い専門をお持ちの古田先生にご自身の最新の研究成果を思う存分、自由自在に語っていただくという趣旨である。
 今回のセミナーで先生が語られたテーマは、次の4点である。
 第一に、「邪馬壹国」という国名の問題。
 古田先生は東夷伝序文が三国志全体の序文であることを『俾弥呼』(ミネルヴァ書房、2011年)で記されたが、その東夷伝序文に「夷狄之邦と雖も、而も爼豆之象、存す。中国礼を失するも、四夷猶信ずるがごとし」の一文がある。「東夷の中には先祖を祀る習慣が存在している。中国にも本来はその伝統があったが今は失われてしまった。それがこの国には残っている、素晴らしい」と陳寿は書いているのである。
 この国とは何かというと、「邪馬壹国」のことである。「豆」は、神を祭る器具、「士」は「仕事とする」の「仕」、「冖」は器具の上の台板。それらを合わせたのがこの「壹」の字である。つまり俾弥呼は、「わが国は中国の古い伝統を守り続けている」という意味で国書(上表文)にこの「邪馬壹国」という漢字を自ら使用した。これは素晴らしい国だと陳寿は賞賛しているのである。
 だからこれは絶対に「邪馬壹国」でなければならないのである。従来先生は、文献に「邪馬壹国」と記されているのに、“ヤマト”と読みたいがために「邪馬台国」に直すような方法は間違っているという形式論のみから論を進めてきた。しかし、今回は文献処理の実質論からも「邪馬壹国」でなければならないことがわかってきた、と述べられた。これは今年7月20日の発見だったという。
 第二に、尾崎康著『正史宋元版の研究』(汲古書院、1989年)について。
 この本において尾崎氏は、古田先生が研究上尊重した三国志の「紹熙本」(宮内庁書陵部蔵)に対し、その信憑性なしとして忌憚なき批判を展開されている。一見書誌学的な方法による「紹熙本」批判のように見えるが、その実は“古田説批判”の書なのである。
 先生は尾崎氏の論証を一つひとつ再批判し、「逆転」していった。新たな再批判の醍醐味を久しぶりに味わったという。これによって逆に「紹熙本」の信憑性が高まる結果となり、尾崎氏の“批判”に感謝すると述べられた。
 第三に、和田家文書について。
 「寛政原本」の発見は、この古代史セミナー開催中の“事件”であったが、この文書が日本の歴史全体に占める枢要の位置が次第に明らかになってきた。
 最大の焦点は、「日本」という国号が日本列島の中で生み出されたものではないというテーマである。そもそも列島内に住む人間が自分のいるところから太陽が昇る、などと思うはずがない、当然のことだ。
 一方、『東日流外三郡誌』には「高天原寧波」、つまり中国浙江省杭州湾の寧波に高砂族がいたことが記されている。寧波から対馬海流に沿って、奄美大島など海士族の島が点々と存在する。海士族の海域である。彼らは杭州湾から見て東にある九州東部を「日の出る国」とみなしていた。『東日流外三郡誌』に「日の出る国」と書かれているのは、筑紫のことである。海士族が九州に渡ってきて、そこに「日の本」を作ったという「建国」の経緯が記されているのである。
 「寛政原本」が出現してなお、和田家文書「偽書」説が趨勢をふるっている。しかし先生の関心はすでに「偽書」云々という低いレベルにはとどまっていない。その内容を精査し抜くことに向けられている。和田家文書の内容を読み解くことによって、『古事記』、『日本書紀』のみでは決して分からない、よりリアルな古代日本の姿が明らかになるだろうと述べられた。
 第四に、宗教論について。
 「現代において、宗教は存在しない」という思想史的なテーマを述べられた。
 江戸時代にも、「宗教」という言葉は存在した。明治のreligionの訳語以前である。江戸時代、浄土真宗においてこの語は「宗(むね)としての教え」という意味で用いられていた。つまり「宗教」とは、これをもとに政治、経済、文化等を展開しなければならないという「根本の教え」だったのである。
 バイブルの十戒のひとつに、「殺すなかれ」の戒めがある。これが「宗教」である。政治的、経済的にいくら損であっても、殺してはならない。これが「根本の教え」であった。その教えによってキリスト教は発展し、キリスト教世界は繁栄したのである。
 けれども現代において、そのような意味での「宗教」は存在しない。人類は科学技術の進展によって、原水爆や原発をすでに手にしてしまった。しかしそれを制御する「宗教」は皆無である。いわば「賞味期限が切れた宗教」しか存在しないため、人類が惑っている、それが現代の実情なのである。真の宗教人であれば、「宗教」の名において原水爆や原発に反対する、と断固言わねばならない。現代においては、それを言うことができて初めて、真の宗教家ということができるだろう。
 日本は原爆、そして原発の惨禍を受けた世界で唯一の国である。日本は唯一広島、長崎、そして福島を経験した国として、原水爆、そして原発の完全廃絶を世界に訴える「宗教」が生まれる土壌を持つ。日本から真の「宗教」を発信していかなければならない、と述べられた。
 以上のように、昨年に比べると先生のご講演の時間こそ短くなったものの、最新の研究成果や壮大な思想が盛り込まれ、充実した2日間となった。
 今年御歳86歳となられた古田先生、ますますお元気で、来年もセミナーハウスで最新の研究成果を自由自在に語っていただけることを願っている。

開催模様

講演者:古田 武彦 先生

講演の様子

懇親会の様子

参加者による研究発表の様子

~古田先生を囲んで~(講堂にて、2012年11月10日)