セミナー・イベント

古代史セミナー 第7回~古田武彦先生を囲んで~日本古代史 新考 自由自在(その3)

実施報告

実施日 2010年11月6日(土)~7(日)
会場 大学セミナーハウス(東京都八王子市下柚木1987-1)
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主催 財団法人大学セミナーハウス

講演者

歴史学者・元昭和薬科大学教授
古田 武彦氏

趣旨文

日本古代史 新考 自由自在 (その3)

わたしは恵まれている。なぜか。―望むものをえたからである。
わたしにとって、歴史の探求とは、自己の不審を解くためだった。たとえば「邪馬台国」問題。近畿か、九州か、沖縄か。日本列島各地に候補地がありながら、決着がつかないのは、なぜか。
たとえば、「日出ずる処の天子云々」の直前に「阿蘇山あり、云々」の風土描写があるのは、なぜか。
たとえば、この天子には「雞弥(きみ)」という妻がいる。それなのに、同時代の近畿の王者は女性。推古天皇だ。なぜ「男性」と「女性」が同一人なのか。
数え上げれば、きりもない「?」に一つ、ひとつ挑戦してきた。たった一人の、自分の「疑い」を解こうとしてきた。それだけだった。
それが解けた。かっての「?」は、少なくとも、わたし自身には、不審ではなくなった。
なぜなら、七世紀の「白村江の敗戦」のとき、延々と“連ねられ“ていた「神籠石」あの古代山城群は、近畿の「大和」を“取り巻いて“いはしなかった。「筑紫」の太宰府と筑後川流域を”取り巻いて”いること、疑いようもなかったからである。
あれや、これやの瀬戸内海沿岸の「山城群」をプラスした図を“作って“みても、いかんせん、近畿の「大和」を”取り巻く“図にはできなかったのである。――ことは終った。やはり日本書紀や続日本紀に、この神籠石山城群の”営々たる築造努力“が一切書かれていない理由は、明白だ。日本書紀や続日本紀を”作った”権力、いわゆる「近畿天皇家の手」による造営ではなかったからだ。
どのように、学者たちが「小細工」をこらしてみても、「九州王朝」の概念なしには、全く説明不可能なのである。
逆に、「九州王朝説」「多元説」に立つ場合、新たな課題と思いがけぬ歴史の発展が続出する。止むときがない。盛況の朝夕だ。
だが、今年の十一月、すでに八十四歳を迎えるわたしに、果たして残された寿命があるか。――なくてもO・K。今のわたしの最終の希望、それは「死」。これこそ絶対に裏切られることのない、大自然との約束ごとなのであるから。

けれども、天がなお、わたしに余命を与えるとすれば、何をわたしに対して望んでいるのだろう。
もちろん、日本の歴史の「一変」は不可避だ。現代の国家が、明治維新以降のその「公的見解」が。近畿天皇家一元主義の「一色」で塗りつぶされていても、それは「いっときの栄華」にすぎぬ。百三十年は、悠久なる歴史の中の一瞬の“おごり“の時にすぎないであろう。

日本だけではない。
世界各国の「国家の歴史」もまた、同断だ。自家の「国益」によって、「自家の歴史」によって、「国家」や「宗派」の歴史を作り、配下の人々を“洗脳“してきたのである。
そのあげく、何千発も、否、それ以上の原水爆を“かかえ“る地球、それを「合法」と稱する地球が、今は「自己の存在」に苦しんでいる。
もし、この人類を作った神がいるならば、「人類は、わたしの失敗作だった。」そう言って歎いているかもしれぬ。この地球の破滅こそ、造り主の希望となっていよう。
だが、わたしは反対する。人間の中に、ささやかな、一片の良心の存在したことを、造物主に対して明晰に証明したいと思う。
その余命は残されているか、否か。わたしは知らない。 (古田 武彦)

実施報告

松本 郁子
2010年11月6日(土)、7日(日)、八王子セミナーハウスで毎年恒例の古代史セミナーが行われた。このセミナーは古代史研究者古田武彦先生に、ご自身の最新の研究成果を自由自在に語っていただくという趣旨で、「古代史セミナー~古田武彦先生を囲んで~日本古代史新考 自由自在」と名付けられている。八王子セミナーハウス館長荻上紘一先生のご立案で7年前から始まったこの企画、毎年70名前後の参加者を集め、セミナーハウスでも一番人気のセミナーだそうである。初回から毎年欠かさず参加されているファンの方も多い。7回目となる今年の参加者数は85名、過去最多となった。
今春からミネルヴァ書房より古田武彦・古代史コレクションが次々と刊行されている。今回のセミナーにも、今年4月に古田先生の『「邪馬台国」はなかった』を読んで初めて先生の古代史学に触れたという方が足を運んでくださった。その方はアンケートに答え、「本年4月にはじめて先生の『「邪馬台国」はなかった』を読み、驚かされました。そして、こんな理路整然とした古代史を、私は教えられてこなかったが、今の中高生の時代はどうなのだろうと思いました。ところが既成のいわゆる学界は、論争をせず、無視しているとのこと。ミネルヴァ書房の復刊版をもとめ一気に読みました。(中略)質疑応答の内容が理解できるよう、もっと学んできます。何より、古田先生のお人柄に接する事が出来たことが大変良かったと思っております」(「第七回古代史セミナーアンケート」より抜粋)と、ご自身がセミナーに参加された経緯を書かれていた。これを読んで、ミネルヴァ書房の復刊により、古田先生のご研究がまた新たな支持を広げているとの実感を得た。今回過去最多の参加者を数えることとなったのも、その影響であろう。
古田先生の歴史の探求は、そもそも自己の“素朴な”疑問を解くために始まった。たとえば「邪馬台国」の国名の問題。三国志の魏志倭人伝の女王国の国名が、もとの版本(中国の12世紀の版本)においては、いずれも「邪馬壹国」となっている。「邪馬台国」ではない。それなのになぜ、現代の古代史研究者たちは、近畿説の論者も九州説の論者もこれを「邪馬台国」として論じているのか。たとえば「日出ずる処の天子」の問題。その記述の直前に「阿蘇山あり」との風景描写がある。それなのになぜ、「日出ずる処の天子」は近畿の王者推古天皇でよいのか。そして、この天子には「雞弥(きみ)」という「妻」がいる。ということは、この天子は「男性」のはず。それなのになぜ、「日出ずる処の天子」は推古天皇、「女性」でよいのか。「男性」と「女性」が同一人物でよい、このような荒唐無稽な説がなぜまかり通り、なぜ誰もそれを疑わないのか。
古田先生の古代史探求は、このような素朴で率直な問いから始まっている。そしてひとつ一つの問いから目をそむけることなく、正面から解き明かしていくことにより、先生の学問は形作られてきた。そのような古田先生にとって、「九州王朝説」はすでに自明のもの、疑う余地はない。東西の学者たちがいくら「小細工」や「屁理屈」をこらしてみても、「九州王朝」の概念なしには、日本の古代の真の姿は絶対に見えてこない。これが先生の結論であり、2日間にわたるセミナーでも終始繰り返されていた。
新しい発見についての報告も、2日間相次いだ。特に今回は、思想史研究に関する言及が目覚しかった。
第一は、柳田国男の民俗学批判。柳田は1910年(明治43)の大逆事件を境に、それまで次々と発表し続けていた農政学論文の執筆を突如やめ、「遠野物語」などの民俗学研究へと「転出」した。その背景には「皇国史観」を唯一の「歴史」とする時代への“はばかり”があった。そのため、柳田の民俗学からは日本列島各地の歴史伝承がすべてカットされている。有名な「おしらさま」もそのひとつだ。「東日流外三郡誌」に詳述されている小型の馬の親潮渡来伝承(津保化族)も柳田は無視した。また、津保化族に先んじて貝類や魚類の豊かな「イソ」を求めて南下したとみられる阿蘇辺族伝承も、黙殺されている。阿蘇辺族は黒竜江沿岸から樺太・北海道・本州へと南下した旧石器時代の渡来人で、いわば第一波の「陸上の道」だ。柳田の強調した「海上の道」は、その逆方向のひとつのみにとどまっていたのである。
西欧の民俗学もまた、同一の「一大欠落」を持っている。中・近世の「魔女裁判」によって、キリスト教以外の西欧本来の歴史伝承はことごとく葬り去られた。「キリスト教・独占」以降の現代西欧の民俗学は、いわば「歴史伝承の墓場」の中にあるといってよい。柳田民俗学の場合、「皇国史観・独占」の中で近畿天皇家一元史観に抵触する歴史伝承はすべてカットされた。そして現在の民俗学も柳田の学問をそのまま受け継ぐ形で存続しているに過ぎない、として古田先生は批判され、今こそ「真の民俗学」を打ち立てるべきだと主張された。
第二は、歴史の背景をなす「思想」の問題である。奈良女子大学教授小路田泰直氏の「思想史を下部構造とする」立場に刺激を受け、これからの時代を切り拓いていく新しい思想や宗教を造る必要があるのではないかと考えられたという。古田先生は「第一、造史 第二、造神 第三、造思想 第四、造法」の四策を提言され、これを坂本龍馬の「船中八策」にならって「八王子の思想四策」と名付けられた。これが今後どのような展開をみせるのか、楽しみである。
古代史セミナーの名物は、古田先生の熱弁だけではない。参加者の方々が先生を質問攻めにするのが毎年恒例の風景となっている。「ご質問のある方は、どんなささいなことでもかまいません、何でも聞いてください。何を聞かれても私は困りません。知らないことは『知らない』と申し上げるだけだからです」という先生のお決まりの名台詞を皮切りに、会場からは次々と質問の手が上がった。今年御年84歳になられた古田先生であるが、立った姿勢のまま次々と質問に答えられていく。会場は熱気に包まれ、着席順にマイクをまわしていくが、質問の手は後を切らない。白熱しすぎた質問者同士がマイクを争うような場面も見られた。終了間際まで古田先生への質問攻勢は続いたが、荻上先生の「残された質問は来年の楽しみにとっておいてください」との言葉でセミナーは幕を閉じた。
現在ミネルヴァ書房日本評伝選『卑弥呼(ひみか)』執筆中の古田先生、どうかお体を大切に、来年もセミナーで自由自在に新説を語っていただけることを願っている。