セミナー・イベント

古代史セミナー 第6回~古田武彦先生を囲んで~日本古代史新考 自由自在(その2)

実施報告

実施日 2009年11月7日(土)~8(日)
会場 大学セミナーハウス(東京都八王子市下柚木1987-1)
主催 財団法人大学セミナーハウス

講演者

歴史学者・元昭和薬科大学教授
古田 武彦氏

趣旨文

日本古代史 新考 自由自在 (その2)
人生は有限である。だから永遠を求め、知ろうとするのだ。たとえば、科学。一時期のイデオロギーにあらず、永遠の真実を求めるための方法である。
わたしも人生の終末にのぞみ、いよいよ歴史の光を求める。その真実をのぞんで、朝も夕もない。一瞬のときも、もてあますこととてない。幸せだ。なぜなら、やがて死という永遠のやすらぎが、待っているからである。これは思うに、決して裏切られることのない、天との約束事であろう。
天はわたしに余命を与えた。その意図は何か。臆断する。おそらくこの日本の、さらに地球の行く末に不安をもち、歴史の中にその真相を探らしめよう。その思いを残しているのではないか。事実、来る日も、去る夕も、新発見の連続だ。これをしるしとどめておけば、必ず後継者はあとを断つことがないだろう。なぜなら、それが天の意思だからである。
青年は強い。向う見ずだからだ。冒険をおそれないからである。老年はさらに強い。今までの、積み上げられた常識を知り尽くし、さらにそれを破ろうとするからである。人がポジションにうれえるとき、老年はわずらわされない。それらはすでに人生の中の過ぎ去ったもの、過去だからである。
権威をにぎり、権力さえ手にした人々がたとえ死を以っておどし、脅迫しようとしても無駄だ。一切、児戯にも似たふるまいとなる。なぜなら、死こそ未来、わたしにとって確実な希望だからだ。彼等にとって脅迫の刃はすでに歯こぼれし、無用なのである。老年はただ未来を目指す。
先日、仁徳天皇陵へ行った。大仙古墳である。堀の水が汚れ切っていた。ヘドロの濁水路である。何年か前、釣り人がすべり落ち、そのまま底に沈没したという。大阪の恥、否、日本の恥だ。世界の前に“顔向け”できぬ。これが実態だ。日本国民と天皇家との間、あの「象徴」という言葉のリアリティがこれなのだろうか。仁徳陵・応神陵等、いずれも日本国民にとって「無価・至上」の陵墓である。
西洋風の“墓あばき”から、日本の考古学は手を切り、あの水戸光圀が上侍塚・下侍塚の「発掘」で見事にしめしたような、“死者への厚き礼節”を断固、守り通す。深く祭り抜く。それが普遍的な人間精神である。真の日本人の魂だ。世界に問う、われわれの未来の道なのである。多くの国民は、否、何億・何十兆の祖先の霊はそれを待ち望んでいよう。
金融汚染は、やがて過ぎゆこう。その千倍、真に恐るべきもの、それは「魂の汚染」である。
若き橋下大阪府知事、平松大阪市長、木原堺市長、北川羽曳野市長に向かって告げる。あなたたちのすばらしい仕事、後世末代に遺る一大業績がある。全国民によって支持される「一石」がある。それを告知しているのは、あの仁徳天皇陵の堀を昨日も今日も遊弋(ゆうよく)する小亀たちの群だ。彼らに代わって、老年のわたしがあえてここに書かせていただいた。
ご一覧に深く感謝したい。 (古田 武彦)

実施報告

松本 郁子
2009年11月7日(土)と8日(日)、大学セミナーハウス講堂で古田武彦先生の古代史セミナー「日本古代史新考 自由自在(その二)」が行われた。
このセミナーは古田先生の「弟子」を自認する大学セミナーハウス館長荻上紘一先生の企画、提案で始められ、今年で6回目。古田先生の学問やお人柄を慕う「弟子」が一年に一度一同に会す、同窓会のような雰囲気の会として続いてきた。しかし今回は八王子市が推進する生涯学習プロジェクトの一環である「いちょう塾」の塾生から3名の参加がある等、新たな顔ぶれも見られた。古田先生のお話は、きわめて専門的ながらも論旨明快で分かりやすいのが特徴なだけに、初参加の方々もすぐに先生のご講演に引き込まれたようだった。
セミナーのテーマは「自由自在」。古代史に関することであれば、何でもご自由に先生にお話いただこうという趣向である。実は古田先生は一昨年でセミナーの講師を辞退しようとなさっていた。その先生に引き続き講師として来ていただくため、先生の負担がなるべく軽い形で開催できるよう、いわば「苦肉の策」として荻上先生が提案されたのである。今年はその二回目ということで、「日本古代史新考 自由自在(その二)」との表題となった。しかしこの「苦肉の策」は、古田先生の柔軟な思考や論理展開をお話いただくには非常に適した方法だったようである。先生は2日間にわたるセミナーの時間を存分につかい、「最近の発見」の数々を話された。
「自由自在」な古田先生のお話は、『魏志倭人伝』に出てくる国名及び官職名の読み方の問題から始まった。『「邪馬台国」はなかった』執筆段階では、中国側の陳寿が書いたという理解をしていたが、読者の倉田卓次氏(当時佐賀地家裁所長)のご指摘によってその間違いに気付き、現在では倭国側の表記であるとの認識を持つに至ったというお話であった。古田先生はご自分の説に対しても、誤りに気付いたら直ちに訂正し公表する、その率直な姿勢はまさに「自由自在」そのものである。
続いて話の焦点は『古事記』の問題に移ったが、本居宣長の『古事記伝』は『古事記』真福寺本に対する改ざんを行った上で書かれているというお話がなされた。たとえば宣長は、真福寺本には「天の沼弟」と記されているのにもかかわらず、「弟」を「矛」の間違いであるとして勝手に書きかえ、「天の沼矛」と読みかえて理解しているという。『古事記伝』における真福寺本に対する改ざんの問題については、古田先生が新たに論文を書き、真福寺本の写真も掲載して来年中には小冊子の形で出版したいとのことである。これによって、従来とは全く違う『古事記』の姿を見ることができるだろう。
また、西欧及び日本の考古学界に対する批判も呈された。西欧の近代考古学は、発掘の前後において、そしてその手法において、古代の死者に対する礼節の態度を欠いてきた。現在の西欧の考古学者はクリスチャンであり、古代の死者は多神教の「魔女」に類する存在と見なされてきたからである。したがって古代の王墓を発掘しても、発掘後これを丁重に祭りなおすこともせず、死者にとっては大切な埋葬品である出土品を大学に持ち帰り、倉庫に放り込んで平気な顔をしてきたのである。明治以後、日本の考古学者は「近代の考古学」としてこれに追随したが、日本国内の古墳の発掘に際しても、掘り返したまま乱雑に放置している例が少なくない。このような態度は西欧の「近代考古学」の “猿真似”であるとして、先生は痛烈に批判された。宮内庁は仁徳陵や応神陵等の天皇陵に対する発掘を拒否し続けているが、日本考古学界のあり方に鑑みれば、一応は一理あるものと認めなければならない。けれどもより広い視野に立てば、国外ではエジプトや中近東で古代の王墓を凌辱することを許し、国内では天皇陵の発掘を拒否する、その落差、その矛盾は覆うべくもない。日本は一刻も早く根本的かつ一貫した姿勢を樹立しなければ、国際的な信用を失うであろうと述べられた。けれども日本には、水戸光圀が上侍塚・下侍塚の「発掘」の際に示したような、死者に対する厚い礼節を守り、死者の魂を厳かに祭る思想が存在する。現在の日本の考古学界もその伝統に立って、死者に対する弔いの心を示すことが必要だと述べ、この問題を締めくくられた。そのためにも水戸光圀の文章(出典『那須由来記』)を各国語に翻訳して出版し、世界に知らしめたいとのお考えを話されると、これに共鳴された松本深志高校時代の教え子菴谷利夫先生(松本大学学長)が早速寄付を申し出られるという一幕もあった。先生と聴衆の距離の近さ、先生のお話に対する参加者の反応の速さも、「自由自在」ならではのものである。
ミネルヴァ書房による企画、復刊の『古田武彦コレクション』が2010年1月末以降、順次刊行されることとなった。『「邪馬台国」はなかった』や『失われた九州王朝』、そして『盗まれた神話』等の過去の著述をそのまま収録し、巻末には中学、高校生にも読みやすい文章で記された「新しい発見」が豊富に盛り込まれているとのことである。したがって本のタイトルも『古田武彦全集』ではなく、『古田武彦コレクション』となっている。古田先生の古代史学の来歴のみならず、現在の研究段階も知ることができる、貴重なコレクションとなろう。『古田武彦コレクション』には、今回のセミナーで話された内容も盛り込まれているとのことなので、詳しくお知りになりたい方は、こちらをご参照いただきたい。
実はこのセミナーの主催者である荻上先生は、セミナーの直前に体調を崩され、今回のセミナーには顔を出すことさえ危ぶまれる状態であったとのことである。しかし古田先生のご講演を聞いたとたん、俄然調子がよくなられたとか。古田先生の論旨明快なお話が頭の血流を刺激し、体にもよい影響を及ぼしたのではないかとのことであった。その荻上先生から「古田先生、来年のセミナーもどうかよろしくお願いします」とのお声がかかると、古田先生からは「荻上先生がお体を大事にし、お元気でいられることを条件にお引き受けします」とのお返事。会場からは拍手喝采が起き、満場一致で来年のセミナーの開催が決定された。
2009年12月25日
日本学術振興会特別研究員・歴史学者
松本郁子

講演風景

古田武彦先生

受講風景

古田武彦先生を囲んで集合写真