セミナー・イベント

第2回国際教養セミナー
世界における「他者」との共生―宗教・宗派・民族の相違を超えて―

実施報告

期間 2008年10月4日(土)~5日(日)
場所 大学セミナーハウス (東京都八王子市下柚木1987-1)
主催 財団法人大学セミナーハウス
参加状況 61名 32校、 そ の 他
筑波大学1、埼玉1、御茶ノ水1、東京3、東京外国語大学1、横浜国立2、一橋2、愛知教育2、東北1、弘前1、大阪2、徳島1、名古屋1、首都大学東京1、名古屋市立1、大妻女子1、慶應義塾2、恵泉女学園1、国際基督教3、創価2、中央1、東京女子1、東京理科1、日本女子1、立教1、早稲田3、大東文化1、立命館3、甲南1、昭和女子1、神田外語1、南山1、都立国際高校1、社会人10

基調講演

アッラーと神―日本からイスラーム世界を見ると―
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授/所長  大塚 和夫

開会の挨拶(荻上紘一館長)

基調講演(大塚和夫先生)

主会場(講堂)

企画委員

<委員長>
大塚 和夫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授/所長)
<委 員>
川田 順造(神奈川大学日本常民文化研究所客員研究員)
花澤 聖子(神田外語大学外国語学部准教授)
古矢 旬(東京大学大学院総合文化研究科教授・アジア太平洋研究センター長)
渡邊 啓貴(在フランス日本国大使館公使)

セクション演習

A 多民族地域「中東」における国づくりと国民アイデンティティーイラン、アフガニスタンの事例を中心にー
東京外国語大学学国語学部教授 八尾師 誠
B イラクの社会構造と「宗派対立」?
東京外国語大学大学院地域文化研究科教授 酒井 啓子
C 東南アジアのムスリムと仏教徒
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授 西井 凉子
D 「西洋文明」とイスラーム思想
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授 飯塚 正人

実施報告

国際教養セミナーは、「知ること」から「多文化共生」の道を共に探ってみようを出発点とし、グローバル時代において身近に感じる異文化等の問題をテーマに選び、学生や社会人を対象とする合同合宿セミナーを行うことによって、国際教養知識を学ぶ場を提供し、現代の国際問題や様々な現場で発生した文化摩擦の解決の糸口を見つけるようという考えに基づき、企画するセミナーです。第1回目はイスラーム、アメリカ、アフリカ、中国、フランスと五つの文化圏を選び、多文化を知る上で共生の道を探ってみようという企画で開催しましたが、最終的に多文化共生の道を探り出すことが出来ませんでした。そこで、五つの文化圏を一つずつ具体的に知ろうと、最も関心があると思われるイスラームを選びました。    
第2回国際教養セミナーは、大塚和夫先生が企画で東京外国語大学中東イスラーム研究教育プロジェクトの一環として、イスラームというテーマに絞って開催しました。イスラーム研究の各分野の第一人者の先生方を講師として招くことができ、大変贅沢で内容の濃いセミナーとなりました。

大塚和夫先生の基調講演は、この度のセミナーの四つのセクションテーマ設定の経緯、「共生」というキーワード、「他者」についてどう理解するか、イスラーム世界をどうみるか、メディアで伝えられる「国際社会の見方」に伴う「遠近法」の歪みに気づくこと等のポイントを挙げたうえ、「アッラーと神」について話されました。

閉会式の後、五人の専門家はイスラーム世界について講演の後、セクション演習に入り、セクション講師として参加者からの質問を答え、参加者と一緒に徹底討論をしました。2日目の全体会では、各セクションの代表がそれぞれ議論されたテーマ、セクション演習の結論をまとめて発表されました。全体のテーマをめぐり、各セクション演習の結論と関連付けての講師全員のパネルディスカションは個々の問題意識をさらに浮き彫りにされ、一般的に論じるムスリムの他者とは何か、イスラーム世界における社会的・文化的「他者」とはなにか、仏教徒とムスリム間の文化的衝突は何を意味するか、イラク戦争はどう理解するか、等の問題を明らかにされました。

八尾師 誠先生

討論風景~さくらA館セミにて

酒井 啓子先生

西井 凉子先生

飯塚 正人先生

分科会討論結果報告

【セクションA 】
私たちAグループは、八尾師先生へ質問することに殆どの時間をあてた。その後、先生の示唆を受けて、自分たちが感じたこと、考えたことについて話し合った。従って、以下に要約したことは、先生のご意見に依るところが殆どであることを、まずことわっておく。アフガニスタンは、いうまでもなく、多様な民族で構成されている。八尾師先生によれば、イランと同じく「アフガニスタン人」という呼称自体が存在しない。しかし、現代社会においては、国家は、国民国家という形態をとらざるをえない。システムの中で、国民国家は成り立っているからだ。国家という形で他国と対峙するべく、多民族国家アフガニスタンも、ひとつに統合する必要性が生じた。そのため、アフガニスタンは、特定の民族色をだすことに非常に神経質になっている。憲法4条にわざわざ民族名を挙げ、多民族国家であることを認めているように、理念としては、民族融和を掲げている。その試みとしては、政府重要ポストを各派閥に振り分けていることが挙げられる。しかし、それも民族の勢力が拮抗してくると巧く働かないシステムであるなど、問題含みである。また、民族統一のために、民族的弾圧の史料の削除によって、歴史事実を記憶から消し去ろうとする試みもなされていることは、大いに注目すべきことであろう。また、アフガニスタン国家が意図しているのは、民族融和ではなく、新たな存在としての「アフガン人」の創出ではないかと思われる。ユーゴスラヴィア人の創出の失敗からして、その結果は分からず、過渡的なものである。注意深く見守る必要性があるだろう。
 アフガニスタンの例からやや外れてしまうが、作られていくアフガニスタン人について伺う中で、連想することとして「ユダヤ人」も形成された「民族」ではないかということが私たちの中で話題に上がり、それについても話し合った。
 いずれにせよ、アイデンティティという独自性と国民国家としての統一性のバランスは非常に微妙なものであり、さらに深く検証する必要があると思われる。
 
【セクションB 】
セクションBでは、「他者」の詳しい歴史を知ることこそ「共生」への第一歩、というスタンスのもと、主に中東情勢に関する討議を行い、5日の報告に臨みました。主として報告では、中東現代史の流れを振り返りつつ、フセイン元大統領とビン・ラーディン氏の違いなどについて、アラブ民族主義と、イスラーム主義のパレスチナ問題へのアプローチの違いという観点から、発表をさせて頂きました。 ある事件、物事の発生には、本来、実に多様かつ複雑な要素が存在している訳ですが、私たちは往々にして何か一つのキーワードを用いて、世界を解釈しがちです。日本における「イスラーム」という単語はまさしくそのような文脈で使われているのではないか、といった印象を、事前の討議を通じて、セクションBの参加者全員が共有できたと思います。
 
以上のような流れを受け、私たちの発表は『他者理解の上での「分かりやすさ」の危険性』を強調する内容となりました。そうした試みがどの程度、発表において成功したかは分かりませんが(言葉を尽くし、身振り手振りを加えて懸命に伝えようとするほど、「分かりやすさの危険性」を「分かりやすく説明する」という、何とも皮肉な現象が生じていたようにも思えます。)今回のセミナーでの経験は、私にとって中々得難いものでありました。 
今回、このような機会を設けて下さった八王子セミナーハウスの方々に改めて感謝いたします。(文:花田亮輔)
 
【セクションC 】
セクションCの討論会では進行役の参加者を中心とし、各自の海外・日本での経験をもとにした意見交換がおこなわれた。議論の出発点となったのはタイからの留学生ナームさんによる体験談だった[以下]。

 「タイは文化的で宗教的な多様性という社会と言えるかもしれません。私の場合、小学校の時代から高校のまで、授業の中では少なくてもムスリムの友達が一人がいたということでした。いい友達だったんです。彼女たちに対して、他者か、誰か、考えなくて、ただ、人間でした。たまにけんかしたり一緒に遊んだり、普通の仲間でした。もうひとつのお話は私のおばさんの話です。彼女はタイのムスリムの男性と結婚しました。そのため、彼女はムスリムに改宗しました。私はおばさんの家族と あまり親しくて、いつも出会ったり遊んだりするということでした。要するに、イスラムの世界に対して、“他者”としてどうやって共生しているのか、という質問は 私にとって、難しいと思います。なぜなら、他者をみなされなかったからです。私と社会において一緒に住んでいる“人”です。」
 
「他者」を「他者」とみなさないあり方が存在すること、ここからわたしたちは新たな視角を得た。「共生」にもいくつかの異なるレベルがあり、それらを一様にとらえることはできない。さしあたり、「他者」認識が行われるレベルを「政治・制度」と「日常生活」に分けて考えてみると、国家のイデオロギーや対立から生じる「他者」という認識は、ナームさんの体験談においてはそのもの(=他者)として表れてはこないということである。
 
しかし、このようなレベルの違いが存在するからといって、両者が完全に切り離されているわけではない。「政治・制度」―「日常生活」が連関しあうプロセスがあるとしたら、どのようなものだろうか。その一つは、元来「他者」ではなかったはずの存在が分断され「他者」として再生産されていくプロセスである。「小学生のときに教わっていた先生が(アラブ人に)撃たれて殺されたのを覚えている」というユダヤ人の女子高生は、その暴力の記憶を織り交ぜながら「アラブ人」を「他者」とする認識を強めていくのではないだろうか(以上は参加者のイスラエルでの体験談)。そこではすでに、「政治・制度」―「日常生活」という二つのレベルが乖離してはいない。また、いつが平和な時代であったのか、どこにオリジナルがあるかも問題にはならない。ただ記憶の積み重ねによって「他者」は生成されつづけていく。

 このような状況に可能性のひとつを見出すとしたら、「共通性」が挙げられるかもしれない。異なる宗教をもつ人間という一側面だけを見るのではなく、人としての多様な側面を見出すというのである。
 
 以上のように提示された「他者を他者とみなさない」というあり方に対しては、”Black is Beautiful”を引き合いに出しながら積極的に差異をこそ押し出すことこそが共存の可能性であるという立場を指摘するコメントが出された。また、ナームさんは「あなたは他者と聞いたときに何を想定したか」との質問に対し「ではわたしはあなたにとって他者でしょうか?」との逆質問で答えている。結果的にわたしたちが討論の中で行ったのは〈「他者」との共生〉という本セミナーのテーマ自体に疑問符をつける作業であったと言えるだろう。(文:宇田川彩)
 
【セクションD 】
「西洋近代文明」とイスラーム思想」飯塚 正人(東京外国語大学AA研)
1.「西洋近代文明」とイスラーム思想の関係を考えるうえで留意すべき点
 1)両者、とりわけイスラーム思想にとって、相手は必ずしも「他者」と認識されるわけではない 
 ⇒ 現実には、「西洋近代文明」が「他者」なのかどうかが、近現代イスラーム思想における最大の論点と見ることも可能
 2)最初の、かつ究極の難問:「西洋近代文明」とは何か?
「西洋近代文明」は、ときに合理性を重視する姿勢、ときに自由や民主主義、人権尊重、男女平等などの主張、またあるときには世俗化志向といったふうに、その場その場で好きなように解釈され、恣意的な思想分類を産み出し続けてきた。(飯塚正人『現代イスラーム思想の源流』山川出版社世界史リブレット 69、46頁)
→ むしろわかりやすいのは科学技術。だがしかし……関心を集めてきたのは思想 

 【参考】サミュエル・ハンチントンの語る「イスラム文明」と「西欧文明」の違い?

「西欧の価値観や制度を称賛する発言をするイスラム教徒はまずいない。そのかわりに、彼らは自分たちの文明と西欧文明との違いを強調して、自分たちの文化の優位を主張し、西欧の攻勢にたいしてみずからの文化を損なわずに維持しなければならないと主張する」(ハンチントン『文明の衝突』集英社、1998年、322頁)

「イスラム教徒は、自分たちの文化と西欧文化に基本的なちがいがあると見ることでは一致している」 (同 323頁)

*要は、「イスラム教徒が違うと言っている(=他者だと主張している)」というだけの話で、本当に違うのかどうかはわからない!
本講演の目的 
「価値観と制度」をめぐる議論の焦点となってきた以下の2つのテーマについて、近現代イスラーム思想史の流れを概観し、それを通じて「他者」との共生を考える

a)自由、民主主義、政教分離 ⇒ 政治体制
b)男女平等 ⇒ なぜか女性のヴェール

2.イスラームとは何か cf.)Islam=服従

預言者を通して伝えられた神の意志(命令)
-→ 服従すれば、報酬の約束(=来世で個人に永遠の天国、現世で共同体が繁栄)

*逆に、命令に従わなかった場合には、来世で地獄、現世で没落が待っている

・ただし『コーラン』に書かれていることには限りがあり、意味不明な文章や矛盾する〔ように見える〕命令もある(→
資料参照)
⇒預言者ムハンマドの言行(スンナ)や法学者の合意、類推などの手段で神の意志(シャリーア)を知ることに=生き方の指針としてのイスラーム法学
だが、イスラームには宗教会議がない 
⇒ 神の命令が何か、答がひとつにまとまらない場合には宗派が生まれる
ex.)スンナ派・シーア派
*とはいえ、スンナ派(ムスリムの90%)の場合、「ムスリムが誤りにおいて一致することはない」という預言者ムハンマドのことばに基づき、法学者たちが合意した事項に間違いはないと考えられたため、「西洋近代文明」と出会うまで、ほぼ全員が神の命令(=イスラームが何を意味するか)については同じ理解を示していた
ex.)女性のヴェール着用は義務(ただし顔を隠す義務は微妙)。一夫多妻は可

3.イスラーム解釈の革新~「西洋近代文明」とイスラーム
1)第一段階:西洋近代文明とイスラーム思想は矛盾しない(=他者ではない)と訴える
 
テーマa 独裁的な政治体制の「民主化」 ⇒ 次いで一般理論の確立へ   
★アッ=タフターウィー(エジプトの法学者・外国語学校校長・翻訳局長:1801-73)    
留学先(1826~31)だったフランスの体制や啓蒙思想とイスラーム思想を比較   
-→ 神の命令(イスラーム法)と近代西欧の思想はほぼ同じ、と結論
ex.)西洋近代文明の「自由」=イスラームの「正義」(ともに「国民が合法的行為を行い、非合法の行為を強制されない権利」の意であると主張)
ほかに、「人権」や「平等」に対応する思想も元来イスラームの中にある&近代西欧の科学技術はもともとムスリムが輸出したとも主張        
⇒ だから逆輸入しても問題はない   
★ハイルッ>ディーン(チュニジアの首相・1861年憲法の父:1810 or 20s~89)    
近代ヨーロッパ繁栄の秘密は、正義と自由に基づく政治制度=責任内閣制と議会  
-→ 特に議会制をイスラーム的に正当化
ex.)合議はもともと預言者ムハンマドが重視&多数決による決定も先例あり     
*問題:イスラーム法学者以外のムスリムが議会で「立法」すれば、神の命令であるイスラーム法を否定し、「人間の法」を優先することにならないか?   
⇒「イスラーム法」概念の見直しへ(近現代イスラーム思想の主流が誕生)
議会の決定がイスラーム法に反さなければ、それはイスラーム法と見なし得る
議会の決定した法案がイスラーム法に反するかどうか、イスラーム法学者が判断し、反する法案は却下すればよい。それでイスラーム法の施行が保証される  
~これなら、あくまで法学者による解釈。立法にはならない    

【参考】イラン憲法第二条(1907年) 

五人以上から成る宗教情操豊かで時代の要請に通じた宗教指導者団を制定することを定める……議会に提出された法案は彼らによって審議され、イスラームの神聖な原則に違反する法案が法律とならないように彼らが廃棄する権限を認める
  ★ムハンマド・アブドゥフ(エジプト最高ムフティー:1849>~1905)の宣言     
・真のイスラームは理性と啓示の調和
・真の西洋近代文明はイスラームと矛盾しない(=正しく理性を行使した結果であれば、イスラームはあらゆる理性の所産を受容できる)       
 ~この段階では、西洋近代文明はあくまでもムスリムの側が取捨選択する対象
2)第二段階~「西洋近代文明」への従属と反発
テーマb 女性の地位とヴェール
アブドゥフによるもう1つの宣言「女性の地位向上こそ真のイスラーム」     
・夫による一方的離婚や一夫多妻を戒める『コーラン』の章句を軽視した従来の解釈は誤り     
・ムスリムが女性の教育を怠ってきたこと、女性が本来所持する権利を隠蔽してきたことも反イスラーム的行為
ヨーロッパによる攻撃・イスラーム批判   
・イスラームは本来的に女性抑圧的な宗教       
・一夫多妻や、特に女性のヴェールはイスラーム文明の後進性の象徴     
・ヨーロッパは「遅れた」ムスリム社会に進歩をもたらす「解放者」    
・本質的に後進的なイスラームと決別しないかぎりムスリムに進歩はない

アブドゥフの一部弟子による師の一般理論のすり替え 
・真の西洋近代文明はイスラームと矛盾しない(アブドゥフ) 
⇒真のイスラームは西洋近代文明と矛盾しない(弟子の一部)
*ヨーロッパに「イスラームは後進的だ」と非難されないように、西洋近代文明に合わせてイスラームの教えを取捨選択する方向へ
= 西洋近代文明と矛盾するものはイスラームではない(西洋近代文明なら何でも肯定)  

つまり、一方の極には>「西洋近代文明=イスラーム」と主張する人々   
-→ ヴェールと女性隔離を廃止せよ。それは真のイスラームではない
☆ ほかにも、トルコ共和国による「世俗主義」の採用や政教分離思想までがイスラームの教えとして語られることに
but問題は「イスラーム=西洋近代文明」なら、イスラームは要らなくなること⇒ 反発    
★ 納得しないムスリムたちの疑念と反発

・ヨーロッパは「近代」という錦の御旗を掲げて女性を西洋化し、それを通じてムスリムの社会と文化を破壊するつもりなのでは?(ムスリムの家庭を崩壊に追い込めば、抵抗も弱まって外国支配を受け入れるだろう) 
⇒ ムスリム女性は西洋とは異なるイスラーム固有の価値観に従うべし     

もう一方の極に「西洋近代文明と異なるもの=イスラーム」と考える人々 

*テーマa 政治体制についても、「西洋近代文明と異なるもの=イスラーム」と考える人々が存在

・イスラームは神以外に主権を認めない。人間を主権者と考える民族主義、世俗主義、共産主義などのすべてがイスラーム以前の無知である(世界最大のイスラーム政治社会運動ジャマーアテ・イスラーミーの創設者、パキスタンのアブル・アーラー・マウドゥーディー:1903~79)

・現代社会は道徳的頽廃に陥っており、他のあらゆるイデオロギーは無効となった。いまや世界の新たな指針としてイスラームが求められている(エジプト・ムスリム同胞団のイデオローグ、サイイド・クトゥブ:1906~64)

⇒ そしてスンナ派では、今日誰も何がイスラームなのかわからなくなった

「イスラーム=西洋近代文明」派 vs 「イスラーム=非西洋近代文明」派  
   (「西洋近代文明≠他者」派 vs 「西洋近代文明=他者」派)   

 ・ヴェールを女性の義務と考えない国と人、考える国と人    
 ・議会による「立法」をイスラーム法と考える国と人、考えない国と人 
 ・「政教一致」をイスラームと考える国と人、考えない国と人

 *問題は、両極の中間にいるアブドゥフ的多数派が「イスラーム復興」の中核を成す点 

―→ 「イスラーム=西洋近代文明」説をエリート層が推進し過ぎた結果

4.結語:いわゆる「イスラーム復興」の意味 

イスラームの側から見れば⇒ イスラーム復興は、「西洋近代文明」とイスラームを《共生》させる長いプロセスの一部?
ex)議会制と神の法の両立⇒イラン・イスラーム共和国体制

金融とリバー禁止の両立⇒現代イスラーム金融             
女性の社会進出と「慎ましさ」の両立⇒女性のヴェール            
マズメディアと宗教の両立⇒イスラーム番組、コーナー


《資料:コーランに見られる意味不明の命令》
「それから女の信仰者にも言っておやり、慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう」

「預言者よ、あなたの妻、娘たちまた信者の女たちにも、彼女らにジルバーブをまとうよう告げなさい。それで認められ易く、悩まされなくて済むであろう」


《参考文献》

飯塚正人『現代イスラーム思想の源流』山川出版社世界史リブレット 69、2008年
板垣雄三監修、山岸智子・飯塚正人編『イスラーム世界がよくわかるQ&A100―人々の暮らし・経済・社会』
亜紀書房、1998年(改訂版2001年)
板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』岩波新書、2002年
エスポジート,J.L.(内藤正典・宇佐美久美子監訳)『イスラームの脅威――神話か現実か』 
明石書店、1997年
加納吾朗『イスラームの挑戦――次に倒れるのはサウジ・・・なのか』講談社、1982年
栗田禎子編『中東――多元的中東世界への序章』大月書店、1999年
ケペル,G.(中島ひかる訳)『宗教の復讐』晶文社、1992年 
小杉泰『現代中東とイスラーム政治』昭和堂、1994年
小杉泰『21世紀の世界政治5 イスラーム世界』筑摩書房、1998年
スミス,W.C.(中村廣治郎訳)『現代イスラムの歴史』中公文庫、1998年
山内昌之編『「イスラム原理主義」とは何か』岩波書店、1996年
湯川武編『講座イスラーム世界5  イスラーム国家の理念と現実』栄光教育文化研究所、199

パネルディスカション

ようこそ広場にて(2008年10月4日)