留学生支援

2009:受賞結果 作品紹介

銀賞作品1

諺からみた日・韓社会的通念の差―‘出る杭は打たれる’を例として―

劉 正來(一橋大学・ 韓国)

Ⅰ.はじめに
日本と韓国は地理的に近く同じ漢字文化圏なので似ている文化も慣習も多い。しかし社会的通念は両国が海で離れているのを実感するくらい大差を表している。民衆の知恵が凝縮され広く口伝された民間の格言である諺にも意味は似ているが社会的通念の差が大きいものがある。その中の一つが“出る杭は打たれる”という諺だ。韓国にもこれと似た諺があるがそれを日本語で直訳すると“角が出来た石はのみで打たれる”だ。‘出る’が‘角’ に‘杭’が‘石’に変わって‘のみ’が入っただけで意味はほぼ似ている。しかしこの諺の社会的通念に両国でそれぞれ差があるのが感じられる。その理由を筆者の経験から考えてみたいと思う。

Ⅱ.大学時代部活であったこと
私は日本に来て友だちの紹介で日本の伝統武道の一つである合気道を始めた。そして大学2年生のとき外国人でありながら合気道部の主将を担当した。それは部員の中で誰も主将になろうとする人がいなかったからだった。最初私はこれだけ誇らしい職を、そして大学時代の思い出になる名誉な機会をなぜみな遠慮するのか理解出来なかった。その最中のある日、前の主将から電話があり私に主将を受け継ぐことを強く勧めた。私は上べは主将になろうとする人がいないから仕方なく受け入れる振りをしながら内心嬉しく思った。その理由は、私は前に出るのが好きな韓国人だからだった。
主将になった私は先ず部員を増やす計画を立てた。なぜなら部員があまりにも少なかったからだった。隣の少林寺拳法部や剣道部、柔道部は部員が多いことに比べて合気道部は大学院生を合わせても10人くらいしかいなかった。部員が少ない理由を考えてみると合気道部は新入生に入部を勧誘する活動をあまりしないところにあった。数人で稽古するより大勢集まってするともっと楽しいのを知らないのだろうか。なぜみな寂しく稽古をするかのかよくわからなかった。本部道場から遠いところまで指導に来ている師範も部員が少ないとあまり面白くないはずだった。
私は先ず部員を増やすために全員が積極的に入部勧誘活動をすることを勧めた。そして5限の授業が多い1年生が参加しやすいように師範と相談して稽古時間を午後5時半から6時に変更した。合気道が本当に好きではない限り新入生は先輩たちが稽古する中で遅れて道場に入るのが難しいだろうと思ったからだった。そして合気道部は規律が厳しい武道関係の部活だが新入生に優しく応対するよう部員たちに頼んだ。
これに対して先輩たちの反発は強かった。中には日本の伝統を知らない外国人が主将になって今までの暗黙のルールを壊していると陰口をたたく人もいた。それでも私は目的を達成するため計画通りに進めた。そうすると先輩たちの反発はもっと露骨的になった。今度は師範に“今の主将は日本の武道精神は無視して昇段することしか関心がない人です!”と中傷した。師範からは“先輩たちの意見も尊重した方がいいじゃないですか?”と注意された。
私は主将を受けついだことを後悔した。何かを推進しようとすると先輩たちは反対するので提案するのが怖くなった。何回も辞めようと思った。しかし私が途中で辞めると“韓国人は無責任だね!”と言われそうだったのでそうなってはいけないと思った。任期が終わるまで我慢してつとめるしかないと思った。
結果的に合気道員は前の何倍も増えた。精神的に苦労はしたが大学の卒業式に来た後輩たちからもらった寄せ書きを見て主将を受け持った甲斐を感じた。部員たちが一途に“合気道部を立派に成長させてくださったこととやさしく教えてくださったことに対して大変感謝しています”と書いてくれたからだった。

Ⅲ.日本と韓国の社会的通念の差
以上でみたように日本人学生は誰も主将になろうとする人がいなかったことに対し韓国人学生である私は内心嬉しく思いながら主将を受け持った。これは何を意味するのだろうか。この例一つで日・韓の社会通念全体を語ることは出来ないと思う。しかし“日本人は前に出るより集団の中にいるのを好む人が多いが、韓国人は前に出るのが好きな人が多い。”ということを認めざるを得ない。
日本人の前に出るのを避ける主義の起源は農業民族だからだという見解もある。つまり集団で稲を作るため周りに合わせないと憎まれ村八分になる風潮ができたと言う 。また日本人が前にあまり出たがろうとしないことについてフランス人宣教師アンドレ・レノンは21年間日本の労働現場で働いた経験で“日本では出る杭は打たれるからだ!”と証言している 。そして前逗子市長だった長島氏は次のように言った。

どんな社会でも流星のように現れた実力者に対しては激しいジェラシーが燃えるはずだ。たとえばウィンドサーフィンの世界でという実は激しい体育会系社会で、全国の学生新人戦に優勝しても1年、2年生の中頃までは実力をなかなか認めてもらえずやっかみ半分でよく批判の対処にさらされた。‘あいつは自分勝手だ!’などと・・・・

韓国人にも前に出た人を応援する人より妬む人は多くいる 。それでも前に立ちたがるのはそれくらい前に立つと羨望の的になるからだ。 韓国人も昔は日本人と同じように集団で生活しながら前に出るのを遠慮するのが美徳と思ったときがあった。しかし朝鮮半島は東アジアの地理的要衝地であったため大国の侵略をよく受けたので生き延びるために力にこびる人が出始めだ。つまり集団の中にいるより前に出た方が出世して豊かになる可能性が高くなると判断する人が多くなったのだ。中国との朝貢関係の歴史や植民地時代、朝鮮戦争の経験が前に出ようとする人を増やした契機になったのではないかと考えられる。

Ⅳ.終わりに
以上で見たようにすべての合気道部員たちが主将になることを遠慮したのは名誉より頭が痛くなることを避けたいからだった。また‘出る杭は打たれる’という日本の社会的通念が強く圧迫したからだと思われる。若いときは前に出て異性に格好良く見せてもてたがる本能もありそうだが日本人学生の中にはそれより集団で静かに好きな運動をしていた方がより安全だと思った人が多いようだ。先輩にいろいろ言われるのも嫌だし、後輩から評価されて恥をかくのも嫌いだ。結果が悪くなるとみなに白い目で見られるし、良くなっても妬まれる。結局こういうのは得より損が多い。
日本人とは反対に韓国人は団体の代表や長に争ってなろうとする。小学校の学級委員長や中高校の生徒会長の選挙に候補者の親まで動員されて不正活動をすることがあるくらいだ 。その理由は子供にリーダーシップを育てさせたいからだという。そして経験をつませ将来偉い人になることを親たちは望んでいるからだという。韓国では昔から長やリーダーの権限が大きいのでみなから憧れの対象になる。親としては子供をそのような地位に立たせたいと思う気持ちが最近はさらに強くなったようだ。
このような環境にいた私は最初日本の社会的通念を知らなくて、また前の主将に勧められ思いがけず主将を受け持って精神的につらい経験をした。しかし主将の経験がつらい思い出ばかり残ったわけではない。韓国のことをよく理解してくれる後輩もたくさん出来たし、日本人の社会的通念の一部を普通の留学生より早く理解することが出来たのではないか。これは確かに教室の勉強だけでは味わうことが出来ない貴重な経験だと思う。

参考文献
アンドレ・レノン『出る杭は打たれる』岩波書店、1994
長島一由『普通の人が夢をかなえる50のヒット』ポプラ社、2002
http://ansaikuropedia.org/wiki/「出る杭は打たれる」 2009、9、25、アクセス
http://dhaos.egloos.com/2268723「班長不正選挙」 2009、9、25、アクセス

銀賞作品2

環境問題と日本人の自然観についての考察

李 凌(大東文化大学・中国)

環境問題が世界の人々に注目されている中、先月22日(2009年9月22日)にニューヨークで国連気候変動サミットが開催されました。開幕式の演説で、日本の鳩山首相が20年までに1990年比25%の温室効果ガス削減の中期目標を「国際公約」として発表したことで、世界をリードし、国際社会から高く評価されているというニュースが注目を集めています。
鳩山首相は「友愛」精神を訴え、8月30日の衆院選で歴史的政権交代を果たした民主党の代表であり、9月16日に衆・参議院で日本の第93代首相に指名されたのであります。日本新政権のリーダーが国民を率いて、地球環境の分野で世界の先端に立って役割を果たすと公約したことについて、皆さんはどのような感じを受けましたか、私はそれが日本人の自然観の現れで、極く当然のなりゆきのように感じました。

この出来事をきっかけに、地理・環境知識を学びながら、「宗教・文化・生活習慣」という面から日本人の自然観について考察し、最終的に環境問題に繋げるように考えてみたいです。
四周に海に囲まれている日本は山国でもあり、緑の豊かな国です。又南北細長い日本列島の気候は温帯(最寒月の平均気温が-3℃以上18℃未満で、最暖月の平均気温が10℃以上の温和な気候の地域)に属しており、地域によって、気候差が大きい、夏は暑く冬は寒い四季の変化がはっきりしている気候の特色を持っています。
一方、日本列島は大陸のプレートと海洋のプレートが衝突するところに誕生したことから、大地の動きが活発で、地震・火山噴火・台風などの災害の多い国でもあります。そのため、日本は防災対策が進んでいて、「災害の博物館」とも言われているようです。
このような自然環境の中で、日本は人々が災害を克服しながら、自然と調和した穏やかな暮らしを営み、自然界の万物に霊魂が宿っていると信じ、八百万の神々を信仰するアニミズムの国になり、やがて先祖神・氏神と国祖神を崇拝する国家神道と共に仏教も深く信仰され、更に現在ではキリスト教も広く布教されているような多様な宗教と共存する国に発展してきたと考えられます。
四季のはっきりした気候の変化に伴い、自然風景もそれに応えるように変容し、又、人々は自然の変化を楽しんでいるように感じられます。例えば、桜盛りの頃に花見を行い・初夏に新緑を愛で・秋に紅葉狩りで楽しみ・冬に雪山を眺めるというような景色観賞も行われており、新鮮な旬の食材を味わう食文化も盛んです。

ここで、四季の変化を繊細に感じ取った日本の伝統文化として、和歌と庭園を取り上げたいです。
先ず日本の固有詩歌である和歌から見てみます。和歌は「倭歌」とも書き、古くから「①やまとうた」と称されています。和歌には四季を詠ずる春歌・夏歌・秋歌・冬歌があり、従来の和歌集の部立にもなっています。短歌(和歌の一種、長歌・旋頭歌などがある)の場合、「5・7・5・7・7」という音数律に基づいた三十一文字に、季語(季節を規定する詞)を綴り、風景・心情を詠じます。例えば、春から夏に変る景色が詠われた万葉歌として「②春すぎて夏きにけらし白妙衣ほすてふ天の香具山」があり、「春が過ぎて、夏が来たらしい、真っ白な衣が干してある天の香具山に」と言う意味で、古代風景が目の前に浮かぶように感じられます。「香具山」は奈良県にある「大和三山」の一つで、天から降りてきたと伝えられています。私は和歌を読むことによって、日本の人々の自然に対する愛情が切々と感じられました。
続いて、庭園から見てみます。庭造りは日本の人々に好まれ、普通のお家でも限られた空間を利用して、お庭を作っています。特に古都の京都には洗練されたお庭がよく目にかかる上、日本の名園が数多くあります。
日本庭園の大きな特徴は周囲の自然風景が借景されたことで、季節変化が見事に表されているところだと思っており、又日本庭園には人々のこころの理想郷が託されているように思われます。具体例として、平安後期成立された浄土式庭園の代表となっている毛越寺(岩手県平泉町)の名園を見てみたいです。
「大泉が池」という大池泉が寺前庭に配されており、池の南側寄りに中島が置かれています。池の周囲に海岸線の優雅な砂浜を現す洲浜が作られ、荒磯風の水分けと波返しにあたる姿の池中立石が美しく配置され、出島と築山とは対照的な位置に配されています。何と言っても極楽浄土を表す池の西側に、山水を池に取り入れる水路として、遣水が作られ、更に周辺に梅・つつじ・菖蒲・蓮・女郎花・桔梗・萩・楓・など四季折々風情が変る花草木が植えられています。(毛越寺パンフレット参照・毛越寺事務所発行)
もし庭園を散歩してみたら、水の流れる音が少しずつ聞こえて来ます。辿って見ると、清らかな水が山から池へ長々流れていて、水辺に鮮やかに咲いている花がきっと人々を「なんと美しい風景だろう」と感動させます。昔の人々はこのような庭園で行事を行ったり、曲水の宴などの宴会を開いたり、花月を愛で、和歌を詠みとしていたと伝えられています。
時代が下がると、禅寺の枯れ山水の庭園が生まれ、海を表す池は白砂に変り、石組には中世の人々の宇宙観を現しているといいます。③月明かりの石庭は白砂が月光を照り返して白光を放つといわれ、いかにも神秘的な雰囲気であろうと想像できます。
自然風景を生かしている④日本庭園は時代と共に変る、お庭が生きているゆえに変ると言われています。むしろ、日本庭園は季節と共に姿を変えて人々を楽しませているようにも思いますね。以上、自然風景が現れている和歌・日本庭園という日本の伝統文化を見て来ました。歳月をかけて、このような美的世界を極める中に、自然は常に人々のこころの源になっているように感じられました。
日本の人々は神々を信仰し、自然と調和して穏やかな暮らしを営んできたことが改めて確信出来ました。

しかし、近現代の経済発展と同時に、日本の人々の昔ながらのライフスタイルが変化しつつあり、世界の人々と共に深刻な環境問題に直面しています。環境問題とは人間の様々な活動で環境を悪化させていることで、地球規模の環境問題として森林破壊・砂漠化・酸性雨・地球温暖化などがあります。
これから『図解排出量取引とCDMがわかる本』(以下「本」と略称する)を参考し、環境知識を学びながら、国際社会での温暖化対策の背景及び日本の環境問題と温暖化対策技術について考察してみます。
先ず、本から学んだ地球温暖化についての知識を纏めます。地球の気温は、太陽から地表に降り注ぐ日射エネルギーと地表から宇宙へ放出される放射エネルギーが出入りするバランスによって保たれています。しかし、近年大気中の一部のガス、即ち温室効果ガス(CO2・CH4・N2Oなど)の濃度が年々増加しているため、放射エネルギーが宇宙に放出されなくなり、地球の平均気温が上昇している、所謂地球温暖化現象です。そこには18世紀後半の産業革命から始まった化石燃料の大量消費や、森林伐採による自然破壊など、人間の経済活動が原因となっていると言われています、更に地球温暖化によって、自然生態バランスが崩れ、不安定な気候変動をもたらして様々な自然災害を招いているようです。
そこで、1992年に環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)がブラジスで開催され、地球温暖化などの気候変動問題を取り上げ、「気候変動枠組条約」が採択され、先進国に対して、温室効果ガスの排出量を削減するよう公約を定めたが、逆に排出量が増加してしまったそうです。
そのため、1997年に、「気候変動枠組条約」の締約国会議が京都で開催され、温室効果ガス削減ための各国共通のルールが策定され、先進国に対して温室効果ガスの排出量削減を義務づけた公約である「京都議定書」が合意しました。日本の積極的な呼びかけで、各国が協力して温暖化対策を推し進めるようになったと考えられます。しかし、新たな問題として、削減義務のない中国・インドなどの諸国は急速な経済成長と共に、排出量も大量増加していることです。よって、先進国が削減義務のない途上国において、排出削減事業を行い、その削減量を獲得できる制度である「クリーン開発メカニズム(CDM)」が生み出され、先進国が途上国へ技術や資金を提供するとともに、途上国の持続可能な開発の達成をする事が目的とされているといわれています。
以上国際社会の温暖化対策の主な動きとその背景を見てきました。
このような国際環境の中、日本にも様々な環境問題が起き、更に社会問題に繋がっていると考えられます。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本は産業革命を成し遂げ、大量生産の経済社会へ歩み出しました。又、戦後の50年代半ばから70年代にかけて、急激な高度成長を成し遂げ、経済大国に発展してきました。その一方、産業活動で発生させた有害物質によって、自然環境と人々の健康に悪影響を与えた公害事件が(産業革命時期の「鉱毒事件」・経済高度成長期の「四大公害病」、自動車公害・土壌汚染等)相次ぐ発生していました。
自然と調和して暮らして来た日本の人々はこのような経済発展による環境破壊の痛みを経験したからこそ、天然ガス・太陽光・地熱などの自然エネルギーを生かし、世界に冠する自然にやさしい温暖化対策技術(省エネ技術等、『図解排出量取引とCDMがわかる本』詳細な解説あり)が発達されてきたと思います。だから、日本の新しいリーダーが堂々と国際社会に冒頭のような公約できるのですね。
日本の今後のご活躍を期待しております。又、是非その貴重な経験と技術を中国の環境対策にも生かし頂きたいですね。
将来両国のために少してもお役に立てるように、しっかりと日本の文化を理解し、日本の良いところを沢山学ばなければならないと改めて実感しました。

①「やまとうた」、即ち、日本の歌、「からうた」(漢詩)に対しての呼称。(『古今和歌集』・仮名序参照。「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。…花になくうぐいす、みづにすむかはづのこゑをきけば、生きとし生けるもの、いづれかうたをよまざりける。…」)
②持統天皇(645-702)の御製歌、万葉集初出。
解釈は小島憲之他校注・訳『萬葉集一』(小学館・1989年4月・第三版)から引用
③大山邦興氏編『週刊日本庭園行く』(小学館・第二回配本)から引用
④同上・第三回配本から引用

〈参考資料〉
1、②・③・④
2、エコビジネスネットワーク『図解排出量取引とCDMがわかる本』
(日本実業出版社・2008年8月初版)
3、泉留維他著『テキストブック環境と公害経済至上主義から命を育む経済へ』
(株式会社日本評論社・2007年4月初版)
4、佐伯梅友氏校注『日本古典文学大系8・古今和歌集』
(岩波書店・1987年3月第29版)

銅賞作品1

外国人の位置から見つめた日本人の閉鎖性

李 翰俊(筑波大学・韓国)

1. 日本人集団の中に落ちる
2009年 4月, 日本に到着した。もう日本で住んでから半年が過ぎた。その前に日本に二度の旅行をしたけど長年の期間滞留しながら生活したことは初めてだ。半年の期間の間、日本人の眺めてその集団に入って行って直接に日本の集団を体験した。その中、一般的な韓国の大学生と日本の大学生の差を確認することができた。つまり,1つは日本の大学生の集団や他の1つは韓国の大学生の集団を比べた。そして、もっと集中的にこのような差異を見せるのが日本全体の問題なのか、人が所属されている集団による問題なのかを調べるために日本内の集団を比べて見た。1つは筆者が直接に訪問して入ったサークルにいる日本人の集団と他の1つは留学生のために開催されたパーティーに集まった日本人の集団だ。この2つの集団を比べた後, 2つの集団の差を分かるようにする。この論文は半年間の経験を通じる筆者の観点で述べた。

2. 島国根性: 閉鎖性
日本は島国,である。日本の地理的特性によって 島根性と呼ばれる特徴がある。Wikipedia(日本版)によって、 日本語における「島国根性」とした場合は、根性論の根性とは関係無く、日本で育まれた文化や価値観を否定的に捉え、日本人的国民性を指す。そして, カザロン・ド・シャ協会代表の 中谷哲昇は「日本はユーラシア大陸の端に位置する、主な四つの島から成る国で、文化が流れてたどり着き、留まるところであった。狭い国でこせこせしているとか、果ては、島国のなかの共同体で肩をすり寄せ、甘えあい、傷を舐めあっているとか、日本人の特徴をとらえて自嘲的に島国根性という。」と言った。島国根性の中で筆者は、日本人が外国人をどのように眺めるかに重点を置いた。筆者が重点を置いた部分に対してまた、カザロン・ド・シャ協会代表の中谷哲昇はこのように言った。「ヒダの中まで分け入った心情的な繋がりによって、小集団内のまとまりを強め、ソトに対する閉鎖性を強める。日本的集団は外に開かれた集団とはなりにくい。」このように日本人は自分も分からない閉鎖性という特性を持っているし、そのため、外国人が自分の国の観点で見るとめったに理解することができない部分が生じる。

3. 比較(1): 日本人の大学生の集団と韓国人の大学生の集団
差異を調べる前に立って対象たちの外向的な点を一致させた。一致させた点は次のようだ。2つ集団の年齢帯は同じように10代後半と20代初で構成されているし、お互いに同じな関心事を持っている構成員がいる集団。(例: 学校サークル) それと、性比が一方にかたよられていないでほとんど対等な水準だし、大学は同じだが今まで住んだ地域と環境は違う人々の集団で一致した。
このように一致した点で、まず日本人の大学生の集団の特性と韓国人の大学生の集団の共通点を調べてみた。始めて誰かが来れば、関心を見せてお互いに自己紹介をする。次の会議でも笑いながらあいさつをする。また、同じな集団内の人々と近況について話とか恋愛の話などの一般的なの20代大学生たちの対話が存在する。
しかし、差異は次のようだ。外国人の学生が来た場合に韓国の大学生たちは皆が関心を持って周辺に集まって様々なことに関して聞いてみる。そして、外国人が寂しさか不便さを感じないように面白い話などをする。しかし、日本人の大学生の場合には違うパターンを持っている。始めに関心を持って相手の国に対して聞いて見ることは同じだけど、相手の国に関心がないのか、まだ相手に対してよく分からないから話しないのかは分からないけど、日本人たちは今までした仕事を続いてするとか横の友達と話す。その間、外国人は独りで何もしないし、そのまま座っている状況になる。そして、不便さは徐々に大きくなる。

4. 比較(2): 普通の日本人の集団と留学生に会う準備をした日本人の集団
日本人の集団に連絡無しに独りに行った場合、 筆者は不便さを感じたし、「日本の大学生たちは全体的にこんな特性があるのか?」という疑問を持つようになった。比較のために筆者が直接的に探して行くのではなく、留学生たちのために準備した集団に属している日本人たちに会って、この2つの集団の差を調べた。Aグループを普通の日本人の集団、Bグループを留学生に会うための日本人の集団と称する。
BグループではAグループとは違うのを感じた。勿論、始めの形式は同じだったが、その後の行動パターンが違った。あいさつが終わったからAグループは以前の行動を続いたが、Bグループは前又は横に座って知りたい点を聞いて見た。自然に、お互いに対して聞いて見るようになったし、携帯電話番号も交換したし、別れる時は笑いながら「じゃ、また」と聞かれた。特に、尾羽 秀晃という学生は直接的に僕に来て韓国語で自己紹介した。日本へ来た時から半年ぶりに僕に来て、初めて自己紹介と番号も交換しようと聞かれた人だった。半年の間に様々な人に会ったけど、今までこのような人は一人だった。

5. 閉鎖性, 存在するのか?
比較1と比較2を通じて、全ての日本の学生が外国人に対する反応が閉鎖的ではないのを分かった。比較1の日本の学生の集団は、筆者が連絡なしに行ったので何も準備ができなかったはずだ。だから、一般的な日本の学生を代表する集団で見ても構わない。比較2の日本の学生の集団は比較1とは違い外国人が来るように準備した集団なので、十分な準備したはずだし、外国の文化に関心があって交流したい意向がある特殊な集団だ。比較1の一般的な集団の中に比較2の特殊性をもつ集団が存在すると言うことができる。つまり、大体的に一般的な学生は他の文化について分かるために何もしないけど、その集団の中にも外国の文化に関心を持っている開放的な集団が存在している。

6. 一般的な集団での問題の解決方法
一般的な集団の中でも積極的に外国人に来る人がいる。一般的な集団の中のその人たちの特性は性格が開放的だ。また、大体的にその人の周りに外国人学生たちがいて、一回ほどは外国人と話し合った経験があるので相手が外国人だけど、負担が少し減った人だ。
このような問題を解決するためには外国人の学生も積極性を持たなければいけない。例えば、日本の学生たちがずっと話ししている状況だと仮定する。この時、外国人が自分にも何かを聞いてくれと思うけど、日本の学生たちは外国人に何も聞かない。しかし、外国人が積極的に話題と係わる話したら、日本の学生たちも一緒に話すことができる。徐々に2人の間の壁は崩れるし、国籍がどこには構わずにお互いの共通点を分かるようになって親しくなる。

7. まとめ
比較1と比較2を通じて日本の学生の集団を分析して見た。一般的に外国人の学生に対して閉鎖性を見せたけど、外国人と対話した経験がある人の場合は積極性を見せた。比較2の集団の構成員は外国に対する関心を持っている人と今までの外国人と会った経験がある人が多いので、一般的な集団とは違う積極性を見せた。つまり、一般的な学生たちは閉鎖性を見せたけど、経験と外国人に対する関心の程度によって一般的な学生たちも比較2に進入することができる。
また、一般的な集団と顔合わせる時の解決方法を調べた。この解決方法から見たら、閉鎖的な集団でも外国人という壁を越して、親しくなるのを分かった。しかし、始めには閉鎖的な性向を見せるが,外国人が積極的にしなければ解決ができない。つまり、ちょっと受動的な傾向を確認できる。.
一般的に外国人に対する閉鎖性を見せる集団から積極性を見せる集団に移つることができる方法は2つだ。第一は、日本人の自分の関心事だ。自分がグローバルマインドを持っていたら閉鎖性はどんどん減るはずだ。第二は、外国人と対話した経験だ。閉鎖的な人も外国人と対話を通じて経験を積むようになったら積極的な集団に移ることができる。ただ、これをために外国人も積極的に話して日本人の閉鎖的な性向を減らすようにしなければならない。
日本は、今より多い外国人が来るはずなので外国人を会う機会が今よりもっとたくさん生じるはずだ。そこで、この機会つどに外国人と対話した経験を積まれば外国人に対する閉鎖性はますます減るはずだ。このような人が多くなれば日本は今より外国人が生活しやすい国になると思う。


参考文献
[1] Wikipedia japan, 島国根性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%9B%BD
[2] 中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表, 「日本文化の伝承を考える、島国根性」
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/k6/161122.htm
[3] 伊奈 正人, 情報誌「岐阜を考える」, 2000年, 岐阜県産業経済研究センター
http://www.gpc-gifu.or.jp/chousa/infomag/gifu/103/ronbun1.htm

銅賞作品2

孝仁信儀 後に知識―中国と日本の教育哲学の比較―

張 帥(京都大学・ 中国)

儒教は中国起源し、大和時代に日本に伝来した。その後、日本社会の形成に計り知れないほどの役割を果たした。儒教はすでに日本人の思考方法と振る舞い、そしてライフスタイルに統合されていると考えられ、日本の国民性の重要な一部となり、「無意識に日常的に働く概念」の状態に達した。私は、中国と日本の両方での人生経験を通して、二つの社会の教育理念を比べて見た。日本社会では儒教文化が提唱する多くの優れたアイデアに深く影響されておりた。逆に、中国では徐々に重要性が希薄になり、社会の中で多くの「順序をアベコベ」のようなミスを起こした。
「若者は自宅で両親に従わねばならず、家から離れれば自分より上の者を尊重し、慎重に話し、正直に述べなければならず、仁徳のある者と友になり、これ以上できて初めて、知識を学習する資格がある」。
これは孔子の教育哲学であり、教育理念のエッセンスだと思う。人生の真実を学び、生活における礼儀のすべての側面を理解できるようになり、その後始めて知識を学ぶ資格をもらうことができる。学ぶことの順序について、本当に現実の洞察力のいずれかの話である。
儒教文化の発祥の地としての中国は、残念ながら、上述の理念を無視して、「順序をアベコベ」のように、科学技術に関する教育のみを重視している。国民の世界観と人生観と価値観の指針を無視し、礼儀という常識的な教育を忘れてしまい、結局、育てた人材が「意識の心身障害者」になる。教育理念の障害のせいで、必然的に多くの問題が発生する。一衣帯水の隣国であり、日本は、教育哲学では孔子のこの理念を受け継いでいるということができ、中国と比べ、羨望すべき立派な成果を実現している。
中国社会において我々は、急速な経済発展と生活の経済の繁栄を目に撃している。しかし、社会生活の質に対応する急速な増加を反映しておらず、不調和の問題が多く残っている。例えば、社会の構成するメンバーは相互に尊重すると言う考えが欠如しており、これはサービス産業の顧客と労働者の両方の快適な交流と理解することが困難にさせる。道路が非常に広いにもかかわらず、多くの避けることができる交通渋滞あるいは交通事故が発生している。原因は、ドライバーと歩行者の両方にある。ドライバーは心理の状態に我慢できず、落ち着いて待つことができない。したがって、道路の車は常にクラクションの鳴らして、性急なペースの生活にビートのリズムを打ち出している。ドライバーの車線のランダムな変更、ランダムな追い越し、あるいは歩行者の交通安全の無視、、これらは他人と自分の生命を脅かしている。ドライバーは、運転技術は身につけているが、ドライバーとしての責任と基本的な態度は少しも身につけていない。歩行者はもしかしてある階層の有能な人材かもしれないが、基本的な生活のための道路の一般的なルールが果たす重要性の知識は理解していない。原因として、私は教育が「順序をアベコベ」だと考えている。中国では、ほぼすべての教育現場のほぼすべての教育関係者は、教育の目的を一つに限定している。すなわち、高速な経済発展のために、人材を育成しているのだろう。自分の学生や子供たちが将来、経済という名の「高速列車」の運転を維持するエネルギーの要素になることを希望している。それために、人生の真実をまだ理解できない、社会の構成員としての必要な常識もわからないにもかかわらず、「クイックファインド」の結果のみ、いわゆる目標志向の強い技術的な知識だけを習得させている。これらのために、完全な人間としての生活の質を楽しむことが大幅に縮小されており、社会生活も不安の状態に落ち込み、社会全体の安全保障にとって大きな脅威とされている。
儒教の発祥の地として、中国では孔子の教育の道が公に知られていないことは、非常に奇妙なことだと思う。私は長い間、この問題を検討しており、これは、功利主義的心理が原因だと考えている。学校や教師の側から見ると、学生のテストの点数が高くあることを願い、それが実現することで学校に良い評判をもたらすことができ、学校の指導者のプロモーションと経済のいくつかのリターンができるようになる。これらの実用的な目的を達成するためには、学校から子供たちへ教えられる知識は非常に狭くなり、学校教育の大部分はテスト指向の教育に変化してしまう。
生徒たちは、人間教育を学ぶことができず、礼儀作法も知らず、自分自分の世話をすることもできない。人々と理解もできず、困難に対処するため態度と心理の調整もわからない。経験と教訓を抽出して総括することもわからず、責任の意味もわからない。本当にどのような人生であるか自分自身もわからなければ、未来につながる方向もわからないのである。青少年の学校における長く美しい日々は練習行うために利用され、目標はただ一つ、次の試験の点数を上げることである。いわゆる「狭き門」と呼ばれることのためである。両親からその原因を探れば、非常に複雑なことがわかる。一方で、中国は一人っ子政策のために、本来あるべき親からの厳しい規律が溺愛に代わり、人間教育の喪失を引き起こす直接的原因となった。子供を溺愛する親達は、子供が学校で一日中勉強して、非常に疲れているだろうと心配するため、自発的に、子供にとって最初の「先生」としての役割を放棄する。子供が家に帰ってきた後、親はあまり子供の言動に規律を持たせられない。ただし、一部の親は虚栄心理を持って、食品や衣料品を提供者としての役割に加えて、アシスタントの役割もしている。家でも、自分の子供のコンテンツの知識を学ぶことを監督しており、他人の前で自分の虚栄心を満たすために、子どもの実際の状況を考慮せずに、子供たちが盲目的にコンテンツの知識の学ぶことを監視する。点数主義の社会で、子供達の得る、より高い点数によってさまざまな経済に関連する機会を手に入れることができると願っている。成長段階の子供はまだとても若く、世間の渡ることもできない。失礼な言動などいくつかのエラーを速やかに適切に修正しないと、徐々に今後の生活の中での言動の常識的なガイドラインも不明になり、礼儀もわからず、社会生存のための寛容と愛も知ることができない。去年、私は下関港から船で中国へ帰国する途中に、同じ船に母国の中学校の学生ツアーに参加した人々に出会った。子供のダイナミックさは自然なものだったが、乗組員がダイニングホールで飲食禁止と忘れないように何度注意しても、彼らはそれに従わず、騒々しく食べたり飲んだりしていた。些細なことに基づく、大事を予測できるように、「順序をアベコベ」のような教育方法実際にこのようなパフォーマンスの低下を引き起こすので、私は非常に不安に感じた。生活の基本的な原理が理解できなければ、技術の知識がどんなに高いレベルでも、他人に尊敬されないと思う。同時に、科学技術の力を持ち、重要な位置を占めていても、正しい思想がなく、常識的な意識もない人の存在は、他人の安全に対する脅威だと思う。
教育とは非常に複雑で膨大なトピックである。学習コンテンツ、重要性と学習シーケンスに基づき、道徳的な人格、行動の習慣、生活能力、意識能力、知識的な技能、文化的な含蓄と分かれている。
日本の教育理念は、孔子の教育哲学に非常に沿っていると思う。例えば、日本人は生まれたときから礼儀を学んでいる。ヨロヨロ歩くとき、最初のレッスンで父と兄への尊敬を学んでいる。子供が両親にお辞儀し、弟が兄にお辞儀する。お辞儀の詳細な例がある。誰にするべきだか、する範囲も分かれている。正座して前に両手を着き頭を下げるような最も厳粛な礼儀から、うなずく会釈のような最も一般的なものまで、お辞儀の方法がたくさんある。日本人はどの場面で、どのような礼儀作法をするべきかよく理解し、子供のころからずっと学んでいる。学校の科学技術と文化を学習する前に、さまざまなルールや規制を学ぶということは、日本の教育方法に効果的に反映されており、国民に一般的な一貫性を見ることができる。従って、日本社会では高等教育を受けていない人でも、礼儀作法のルールや他人に親切に対応することや環境を守ることなどといった常識をよく理解している。科学技術の知識のレベルはディポロマにより大きな個別の違いが存在する可能性があるが、礼儀と人生教育のような常識の方面を検討すれば、日本社会のメンバーにある程度の全体の整合性が示されている。原因としては、日本の教育哲学が正しい順序に従っているということが認識されなければならないと思う。中国では日本に関して一つに物語が一般によく知られている。1994年日本で行われら広島アジア大会の開会式終了後、スタジアムの観客は少しのごみも観客席に残していなかった。この件について中国では「そんなことは不可能だろう」と考えられ、日本が恐ろしい国だと考えている。しかし、もし日本人の平日での生活方法と振る舞いと子供の頃から受けている教育を理解すれば、これは驚くべきことではないと思う。小さなごみを闇雲にポイ捨てせず、環境を美しく守り、他人に迷惑かけないという理念は子供の頃から接している常識的な教育である。すでに日本人の心理に浸透し、その常識的な考えは本当に生命の始まりから開始されている教育と訓練の成果である。達成することは非常に難しく思われる。日本人の生活に反映されているカウントしきれない優秀な振る舞いと思想は、やはり常識のようなもので、生命の始まりから受けるべき教育の成果である。
加えて、日本は学生の自立、セルフケア、自己認識を非常に重視している。学生は学校から家に帰ると家事をしなければならず、そこには食事作りや部屋の掃除、洗濯や買い物などすべてが含まれている。学校では、物理や地理などのような中国と同じ課程以外に、生活課程も開講されている。学生は生活技能についてのすべての側面を学ぶことができる。選択をしたり、調理をしたり、あるいはどのようにお金を使うかについて計画をしたり、また旅行日程の計画と特定の実装と最終的な要約をしたり、さらに老人ホームの掃除や高齢者の介護などのような活動は特定の順序によると学生をよい人材に育成することができる。中国の現在の教育モデルと比べると、中国の教育は功利的な目的を達成するために科学技術の知識のみに制限される狭い教育だと思うが、一方で日本の教育は学生の元気な体と健全な心と、各自の学習能力と思考能力を育成することを目標としている。
「優秀な人は一日三回に自省するべきである」。国も同じである。日本の教育の利点を手本として見習い、自分たちに何が不足しているかを発見して積極的に改善すべきだと思う。ただし、日本は中国と比べて本当に小さな国といわれるが、この国は世界の教育大国と経済大国になることができ、必ず先進的な才能があるだろう。これは国民教育の方法の正しさが非常に重要な要因だと思う。教育は人材育成の基礎で、国造りの根本である。社会的な生物としての人間にとって、将来最も基本的な常識と意識と能力は生存の根本と社会発展の基礎になると思う。人の強みを学ぶ、自分の欠陥と補うために、非常に強力な勇気と決意が必要だと思う。歴史の心理的な負担を整えて、大国の自慢的な虚栄心理を捨て去って、それらが国の発展を妨げる障害にならないように努力すべきである。
中国は自分の欠陥に直面するという方法でのみ、真の教育の成功を達成でき、国民の習慣を改善でき、国の繁栄につなげることができる。

主要参考文献
阿部洋編 『「改革・開放」下中国教育の動態』 東信堂 2005年
石附実編 『比較・国際教育学(補正版)』 東信堂 2006年
小川佳万 『中国の学校改革―市場体制下の教員評価』
ミネルブァ書房 2007年
仲田陽一 連載『現代中国の子供と学校』 (1)~(6) 『子供と教育』誌 2007年6月号~11月号 ルック社 2007年
日本図書教材教会保有 『小学校の道徳指導書』 参照
小沢牧子 『心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う』 洋泉社新書 2004年
阿部重孝 『個人的差異と教育制度』 1920年
安川寿之 『日本近代教育と差別』 明石書店 1998年

銅賞作品3

日本の地蔵信仰

王 媛(一橋大学・ 中国)

今日の日本ではよく道端で地蔵像を見かける。その上、赤い、時によってピンク、淡いピンクまたは白い、赤ちゃんが使用するような前垂れをつけている地蔵像はほかの国では見かけない日本独自なものである。地蔵は仏教で伝えられている菩薩であり、本来寺院の殿堂に安置されるべきであるが、なぜ日本の地蔵像は他の仏菩薩と異なって、このように世俗の人々の身近に安置され、しかも前垂れがつけられているのだろうか。この現象からうかがわれる日本の人々の信仰はどのようなものであろうか。本論では日本の地蔵信仰について簡単に一考察を試みたいと考える。
地蔵菩薩は釈迦が没した後、弥勒仏が成道するまでの無仏時代の衆生済度を付託された菩薩である 。地蔵菩薩(以下地蔵と略称)は無仏世界において、すべての人間を救済することを「ほとけ」(仏教用語としての仏菩薩でなく、庶民の信仰対象としての存在を指す)にゆだねられた菩薩であり、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)に堕ちたすべての人間を救済する救世主として広く伝えられている。地蔵の原名は梵語でクシチィガルバという。クシチィは「地」を意味し、ガルバは「胎」あるいは「子宮」を意味することで、地蔵は大地のごとく万有の母胎であり、万有を等しく育成する存在ということになる。その源流はインドのバラモン教神話の地神で、大地を擬人化したものとされている 。諸経典において多くの解釈があるが、地蔵こそ万物を育成する大地と同様の功徳をもつ仏であり、衆生を救済することは大地の偉大さと同様であると考えられてきた。
地蔵を説く経典は偽経(中国や日本で作られた経)を含めて数多くある。そのうち、「地蔵三経」 が地蔵信仰の中心経典とされてきた。そのほか、中国や日本で撰述された地蔵経典も、地蔵信仰の民間への展開を促進させた。
地蔵は衆生救済の功徳を持つと伝えられており、地蔵三経を含めたほとんどの地蔵経典において地獄抜苦と現世利益を重視して説かれている。苦悩苦痛に満ちる六道に堕ちた人々は、容易に六道から離脱することはできないため、その時地蔵は救済に来ると説かれる。特に地獄道に堕ちた人間に対する救済の功徳が多く説かれ、それは地獄抜苦と言われる。地獄抜苦の功徳が説かれているのは、人々の来世に対する信仰を表し、現世に対する信仰としては、現世利益の功徳があり、そこには健康と長寿及び招福が説かれている。仏教の日本での展開と受容によって、地蔵の功徳がそれぞれに重視され、説かれてきた。
『正倉院文書』には天平時代に地蔵経典が書写されていたことが記されており 、これによって日本における地蔵関係の経典は奈良時代にはすでに存在していたことが確認できる。しかし、当時最も盛行した観音信仰と比較すると、地蔵信仰は社会浸透の面ではまだ遅れていた。奈良から平安初期の地蔵信仰が「現世的呪術的色彩を濃厚に有したことは容易に想像し得る」 とみられる。
九世紀末から十世紀に至るまで、貴族社会に浸透していた地蔵信仰は徐々に来世的傾向を示して発達していた。平安末期になると、仏教教説上の末法思想と社会的不安とが一致することで、地蔵信仰は浄土教思想の一部として存在し、阿弥陀浄土思想を表す来世的な信仰を反映していた。平安末期の地蔵信仰は、貴族の間では弥陀浄土信仰などに従属的な立場で説かれている一方、庶民の間では独立したものとして受け入れられていた 。
鎌倉・室町時代は仏教文学の盛行した時代であった。この時期に多くの説話集に地蔵説話が収められ、その霊験説話は絵画、絵巻物にも表現され、さらに和歌、歌謡文学、劇文学の狂言にも地蔵が取り上げられ、地蔵に関する民俗行事なども行われていた。地蔵信仰はこの時期において徐々に庶民の間に展開し、庶民信仰としての性格が強くなってきており、地蔵の現世利益的功徳もこの時期から強調されるようになった。真鍋氏はこの時期における地蔵思想の展開史上注目すべきことは、賽の河原の思想と、地蔵本地垂迹信仰および勝軍地蔵信仰の出現であると指摘した 。
賽の河原とは、子どもが死んでから赴く冥途にある河原のことを意味し、幼くして死ぬ者はまだ父母の恩に報いていないため、この河原で種々の呵責(子どもは石を拾って父母供養のため塔を造ろうとすると地獄の鬼が来て壊すなど)を受けるが、これを地蔵菩薩が救済すると言われている 。この話は経典に典拠はないが、地蔵和讃や賽の河原和讃(仏・菩薩、教法、先徳などを和語で讃嘆した歌)などで広く知られており、いずれも日本で創作された信仰思想である。
本地垂迹というのは、日本の神は本地である仏・菩薩が衆生救済のために姿を変えて迹を垂れたものだとする神仏同体説である 。和歌森太郎は子どもの神の本地は地蔵とされていることを論じ、それによって地蔵が子どもを特に庇護することを述べた 。
勝軍地蔵とは軍神として尊信される地蔵菩薩を意味する。柳田国男が『石神問答』 で考証したように、将軍山、将軍塚は将軍が塞(さく)神(じん)の転訛と考えられ、塞(さえ)の神(=道祖神)が地蔵と結びついて観念されたという。また、『地蔵木』 では、国境、村境に地蔵を祀ることが非常に多いことを述べ、国境、村境にある道祖(さえ)の神が、日本人の古くからの信仰対象であって、村の土地を守護する地神的性格がもたされると記されている。この地神性においては、地蔵と道祖神は相似しており、さらに地蔵は六道に迷うものを導き、現実界に引き戻す役割が重視されていることから、幽明の境の神として見られ、それが進んで、現実の境を守る神として信仰されるようになったのだろうと推察され 、地蔵は道祖神と習合し信仰されるようになった。道祖神の性格によって、地蔵はそれと同様に人々を守るという性格を持つと伝わっている。鎌倉・室町時代、地蔵信仰の民間への定着がさらに進み、地蔵の功徳は現世利益を中心に説かれていた。
江戸時代に入ると、地蔵信仰と民間信仰との習合がさらに進み、民衆の要求の多極化に伴い、専門的機能を持つ地蔵が考えだされていった。特に賽の河原の思想が定着してきて、子どもを救済する地蔵像が信仰の中心となっていた。真鍋氏は、「地蔵信仰といえば幼児の守護を祈願するもの、あるいは胎児の安産を祈るもののように考えられ、(中略)子供に縁の深い地蔵信仰となるのである」 と指摘しており、子どもの「ほとけ」として、地蔵のイメージが定着するようになった。
このように仏教伝来後、仏教で説かれている地蔵信仰は諸経典や中国で撰述された経典をもとに日本で独自な展開をみせた。
特に地蔵信仰は独立した信仰として民間への浸透が進むに従い、日本在来の道祖神信仰と習合し、日本独特な形態が形成されるようになった。今日地蔵は寺院の殿堂だけでなく、「身近に」存在することは道祖神信仰と習合した結果ではないだろうかと考える。
地蔵信仰の変革期ともいえる鎌倉・室町時代に、賽の河原の思想の出現は地蔵信仰が子どもと深くかかわることの土壌を作りだしたとも思われる。地蔵は子供を救済する存在から徐々に子供を守護する存在に変化したのは、庶民の信仰に対する要求の多極化になった結果ではないかと考える。いずれにせよ、地蔵信仰が民間信仰に定着するにつれ、地蔵は「子供に縁の深い」存在であるというイメージも定着してきた。従って、地蔵像も子供に因んで作られるようになったと考えられる。
今日道端によく見かける前垂れをつけている地蔵像は、地蔵信仰が日本という民俗環境に独自な展開をし、在来の様々な思想と信仰を習合したことを物語っている。




「地蔵菩薩」、中村元監修『新・佛教辞典』(誠信書房、1981年)P230。
「地蔵菩薩」、総合佛教大辞典編集委員会『総合佛教大辞典』(法蔵館、2005年)P549。
玄奘訳『大乗大集地蔵十輪経』(『地蔵十輪経』と呼ばれるもの)、実叉難陀訳『地蔵菩薩本願経』(『地蔵本願経』と呼ばれるもの)及び菩提燈訳『占察善悪業報経』(『占察経』と呼ばれるもの)の三経を意味する。
大阪市立大学大学院文学研究科、正倉院文書データベース作成委員会が作成したデータベースSOMOKA(http://somoda.media.osaka-u.ac.jp/)を参照した。また、石田茂作『写経より見たる奈良朝仏教の研究』(東洋書林、1982年)、速水侑「日本古代貴族社会における地蔵信仰の展開」(『地蔵信仰』、民衆宗教史叢書第十巻、雄山閣、1983年)に記載されている当時の写経状況(年代及び経典)を参照されたい。
速水侑「日本古代貴族社会における地蔵信仰の展開」(前掲書)P83。
菅原征子「平安末期における地蔵信仰」『地蔵信仰』(前掲書)PP.194~195。
真鍋広済「地蔵信仰の源流と地蔵菩薩」『地蔵信仰』(前掲書)P16。
「賽の河原」、『民俗学辞典』(前掲書)P194、及び『日本民俗事典』(前掲書)P458。
「本地垂迹」、総合佛教大辞典編集委員会『総合佛教大辞典』(前掲書)P1328。
和歌森太郎「地蔵信仰について」『地蔵信仰』(前掲書)P66。
柳田国男「石神問答」『柳田国男全集』1(筑摩書房、1999年)による。
柳田国男「地蔵木」『柳田国男全集』19(筑摩書房、1999年)PP.570~574。
和歌森太郎『神と仏の間―日本人の宗教意識―』(弘文堂、1975年)P225。
真鍋広済「地蔵信仰の源流と地蔵菩薩」『地蔵信仰』(前掲書)P16。