セミナー・イベント

第8回古代史セミナー~古田武彦先生を囲んで~ 日本古代史 新考 自由自在(その4)

実施報告

実施日 2011年11月5日(土)~6日(日)
会場 大学セミナーハウス(東京都八王子市下柚木1987-1)
※交通案内はこちら
主催 公益財団法人大学セミナーハウス

講演者

歴史学者・元昭和薬科大学教授
古田 武彦氏

趣旨文

日本古代史 新考 自由自在(その4) 
今年は「画期をなす年」である。
その一つ、『日本評伝選、俾弥呼(ヒミカ)』が発行される。三月末、一応の完成を見たけれど、さらに追加して五月末、全稿をミネルヴァ書房に手渡した。この九月中葉までには公刊される予定だ。
八年前の「公刊予告」の段階では、思いもつかなかった、さまざまのテーマが続出した。「倉田命題」「都市(トイチ)命題」「令支(レイキ)命題」、さらに「加藤命題」など、四十年前の第一書『「邪馬台国」はなかった』の成立時には、予想さえしなかった新しい視野の続出となった。
その上、「俾弥呼と崇神天皇との間」といった、それこそ「想定外」だったテーマが加わった。
さらに「歴史の革命」として「被差別部落」問題も、日本歴史の中核として、当然“あるべき”位置において銘記されることとなったのである。従来の、このテーマを歴史の中核におかずに来た歴史は、到底「真の日本の歴史」ではなかったのである。

上の『俾弥呼』完成直後から、新たな「発見のラッシュ」がはじまった。
たとえば、隋書俀(タイ)国伝の「日出ずる処の天子云々」の「名文句」の直前の「阿蘇山有り、其の石、故無くして火起り、天に接する者、」の一節を従来の論者は、(わたし自身もふくめて)全く「誤読」していたのである。「無故火起」は“許可なく火を焚いてはならない”という、「禁制の一語」だったのである。
この隋書俀国伝は、前篇「阿蘇熔岩」いわゆる阿蘇カルデラで構築された「神籠石(山城)」世界の描写だった。多利思北狐(タリシホコ)は「阿蘇カルデラの王者」であり、「大和の推古天皇、聖徳太子」などとは“無縁”の「中心の王者」だったのである。

驚くべき発見は、その次に来た。隋書俀国伝には「竹斯国」や「一支国」などと並んで「竹島」の地名が出現し、「倭(タイ)国の一部」とされている。中国側の叙述である。
この「竹島」とは、どこか。従来の研究史上、未踏の新世界にわたしは当面した。一に「真実の歴史探究」、二に「現代の政治関係とは無関係」、三に「韓国・朝鮮側の主張を丁寧に、学び尽くす」、この三原則によってじっくりと、腰をすえて取り組みたいと思う。国境問題は、人間のために存在する。人間が国境のために存在するのでは、決してないからである。当然だ。西欧でも、いわゆる「国境」問題では“過熱”すること、少なしとしない。が、アジアのわれわれは徹底して冷静に、深い目でこのテーマに臨み尽くしたいと思う。

最後のテーマ、それは当然「三・一一」である。この一事件は、図らずも明らかにした。「会社」と「国側」と「最高裁」と、三者が“手をつないで”「安全」を保証してきた。その保証がこの「三・一一」によって“ふっ飛んだ”のである。にもかかわらず、いまだに“新たな”「国の保証」や「国際的テスト」などの“お墨付き”で、「原発再稼働」を“もくろんで”いるとは。笑止という他はない。もう一度、新たな「三・一一」が到来したとき、「いや、あれは『国の保証』や『国際的テスト』でO・Kされていたのですから、わたしに責任はありません。」などと“言いのがれる”つもりか。信じられない。いまだに「フクシマ」は“害毒の垂れ流し”の最中だ。その汚染の害毒は「四十万年」たっても消えず、この地球を汚染しつづけるのである。誰が“生きつづけて”その責任をとることができるか。問題は、明白だ。

さわやかなニュースがあった。ドナルド・キーンさんだ。余生を「日本人」に帰化して、「三・一一」以後の日本に住む、という。わたしたち、昔からの日本人こそ、今「国家と国家」そして「人間と宗教」の“かかわり方”に対して、深く重い「志」に目覚めねばならぬ。それこそが今年の課題である。

実施報告

松本(大下) 郁子
 2011年11月5日(土)、6日(日)、「第八回古代史セミナー~古田武彦先生を囲んで~日本古代史新考 自由自在(その4)」が実施された。 八王子セミナーハウス館長であり古田先生の「弟子」を自認する荻上紘一先生のご立案で始まったこの企画、初回から毎年欠かさず参加されているファンの方も多い。 8回目となる今年の参加者は86名、昨年の85名を超え過去最多となった。 私も初回からこのセミナーに助手として参加させていただいているが、毎年古田先生や同好の士、そして職員の皆様にお会いできることを楽しみにしている。 今年は特に「3・11」の大震災や秋の巨大台風で、セミナーハウスの建物も被害を受けた旨を職員の方からお聞きしていただけに、またここで集まれたことの喜びひとしおであった。

 2010年春からミネルヴァ書房より『古田武彦・古代史コレクション』が次々と刊行されている。 そして今年9月には待望の新刊、ミネルヴァ日本評伝選『俾弥呼(ひみか)―鬼道に事え、見る有る者少なし-』が出版された。いずれも売れ行き好調で、すでに版を重ねているという。

「3・11」の大震災や東京電力福島第一原子力発電所における「事故」以後、学界やいわゆる専門家の「実態」が露呈した。 M9.0の巨大地震に伴う未曾有の原発「事故」、現実に起きたことに対し「想定外」という言葉で「無責任」を決め込む、その姿に国民は唖然、愕然とさせられた。 その一方で「真実」を知りたい、自らそれをつかむための「方法」を得たいという人々の声が確実に高まっている。 そのような折にちょうど古田先生の『俾弥呼』が出版され、「真実」を求める読者の心をとらえたのだろう。 今年のセミナー参加者の内18名は初参加というが、この数字もそのような「風」をあらわしているものと思われる。
 このセミナーの題目は「古代史セミナー」であるが、先生に語っていただくテーマは古代史にとどまらない。 副題に「自由自在」と銘打たれているように、近現代史や思想史、宗教そして芸術など、多岐にわたる。 幅広い専門をお持ちの古田先生にご自身の最新の研究成果を思う存分、自由自在に語っていただくという趣旨である。

 今回のセミナーで先生が語られたテーマは、次の4点である。 

 第一に、最新作『俾弥呼』のキーポイントについて。 女王俾弥呼の「都する所」は三国志の魏志倭人伝に明確に記されており、疑うべくもない。 この点を改めて強調された。 倭人伝は「里程列伝」であり、中国(魏)の使者が辿った所を里程で示している。 これが魏志倭人伝の表記のルールである。魏使の出発点は帯方郡治、すなわち帯方郡の役所である。 そして到着点は不弥国、すなわち博多湾岸であり、ここで里程表記は終わっている。 魏使が目指したのは「邪馬壹国」、「女王の都する所」であり、その目的が不弥国への到達によって果たされた。 だからそれ以降の里程の記述がない。 したがって「不弥国が邪馬壹国の入り口」である。 これが最も常識的な理解であり、処女作『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞社、1971年)に記して以後、その結論は変わるべくもないと述べられた。

 第二に、『俾弥呼』以後の新発見について。 ミネルヴァ書房による公刊予告から8年の歳月を経て完成、出版された『俾弥呼』であるが、完成直後から思いもよらなかった新たな「発見のラッシュ」が始まったそうである。 たとえば、隋書俀国伝の中の有名な文言「日出ずる処の天子、云々」の直前の一節「有阿蘇山其石無故火起接天者」の解釈をめぐる問題。 これを従来の論者は(古田先生ご自身も含めて)「阿蘇山有り、其の石、故無くして火起こり、天に接する者」と読み、火山の自然現象についての描写と理解していた。 しかしこの解釈に疑問を持たれた古田先生は、この記述を漢字一語一語のレベルに分解して徹底的に調べなおされた。 その結果、「火」の字は人間が起こす火を示し、自然に起こる火は「災」の字を用いること。 また、「無故」は、「許可無く~してはならない」という禁制の一語を示す慣用句であることを見出された。 つまり「無故火起」は、「許可無く火を焚いてはならない」という禁制の表現ということになる。 すなわち、この一節は「阿蘇溶岩で構築された神籠石(山城)で許可無く火を焚いてはならない」という、阿蘇カルデラ世界における描写なのである。 多利思北狐(タリシホコ)は阿蘇カルデラの王者であり、大和の推古天皇や聖徳太子とは無縁であることが、ここにも明確に記されていたのである。
以上の「阿蘇山問題」の他にも「郡支国問題」や「黄幢問題」、「女島問題」そして「竹島問題」など、様々なテーマについての実証的な新知見が示された。 これらの問題はさらに深化、発展され、今後のご論文やご著書で記されることとなるだろう。

 第三に、『杉本文楽・曽根崎心中』について。 古田先生はNHKのETV特集「杉本文楽」(20011年10月16日放映)を見て、ニューヨーク在住の写真家杉本博司氏プロデュースによる文楽、曽根崎心中(2011年8月14日~16日、神奈川芸術劇場で公演)の存在を知り、深い感銘を受けられたという。  現在、人形浄瑠璃文楽座の公演演目『曽根崎心中』(現行曲)では、原文の一部が割愛されて上演されている。 しかし杉本氏は、近松の原文を忠実に舞台化することを目指し、2008年に富山県黒部で発見された初版完全本(通称黒部本)を原典として使用、原文にある「観音巡り」を復活させた。 第一段の「観音巡り」には、死に行く遊女お初が、実は観音信仰に深く帰依していたことが伏線として語られている。 この伏線により近松は、現世では許されぬ愛も浄土では成就させることができるという革命的な解釈を示したのである。 杉本氏はこの「観音巡り」の段を原文通り舞台化した。これによって近松の「真意」が再現され、現代の観客を感動の渦に巻き込むこととなった。 これは「原文割愛バージョン」によっては絶対に得られることのない感動だった、と先生は言われる。近松の原文をそのままに忠実に再現することによって初めて得ることのできた感動であった、と。
 さらに先生は、杉本氏の近松の原文に対する真摯な姿勢に、ご自身が三国志の魏志倭人伝を研究する際にとった姿勢、すなわち「陳寿を信じ通す」という学問上の立場に共通するものを見たと述べられた。 先生も陳寿の原文を忠実に、真摯に読み解くことにより、「古代の真実」に到達された。その姿勢と杉本氏の姿勢に、一方は古代史、一方は文楽、分野は違うものの、全く共通するものを覚えたという。 なお、『「邪馬台国」はなかった』の「道行き読法」は、曽根崎心中の用語「道行き」を借用したものであるとのエピソードも披露された。

 第四に、宗教論及び人生論について。先生は、最近到達されたという宗教論及び人生論を6箇条にして述べられた。

 一、「人間の魂は権力に屈することができない」。近松門左衛門の曽根崎心中のテーマは、封建社会における許されぬ男女の愛である。 一方は商家の手代、一方は遊女、江戸時代という封建社会においては愛し合うことを許されぬ二人の男女が、心中して想いを遂げようとする姿が描かれている。 一見するとこれは、二人の愛が封建の権力に屈服したかのように見える。けれども「あの世」は仏様の世界であり、「この世」の権力の及ぶことのできない場所である。 つまり仏様は封建社会の上に立つ存在なのであり、その仏様が二人を見守ってくださっている。 近松は実は、権力は愛し合う二人の人間の魂を奪うことはできないというテーマを示していたのだと先生は述べられた。 これをさらに一歩進めて先生は、「人間の魂というものはそもそも権力に屈することなどできない存在なのではないか」という命題を提起された。

 二、「権力は幻である」。人は権力を握るとあらゆるものを自分の思うがままに支配できると錯覚してしまう。 しかし、権力は永い歴史の中ではやがて消え去る、「水の泡」に過ぎない。 それはイエスとローマ総督ピラトの関係を見れば明白である。 ピラトは自らの権力をもってイエスを処刑した。 しかし二千年あまりの歳月を経た今、ピラトの名を省みる人などほとんどいない。 その一方で、イエスの名とその思想は世界中の人々の知るところとなり、今もその魂は生き続けている。 このように、永い歴史の中では権力は幻に過ぎないが、人間の魂は未来永劫生き続けるという重大なテーマであった。

 三、「人生は旅である」。これは松尾芭蕉の言葉に似ているが、それとは趣を異にしている。 古田先生によれば、人間の故郷は宇宙であり、人間は肉体という「容れ物」を借りて地球という束の間の人生に旅しに来ているだけである。 肉体はやがては滅び、魂は宇宙に還る。それを「死」と呼ぶ。 したがって人間は、旅である人生においていかに自らの魂を生かすか、人生の意味はそこにしかない。このような人生観を示された。

 四、「宗教は無用である」。上記のように考えると、あらゆる宗教は「逆立ち」している。あらゆる宗教は現在人間が生きている場所を「現実」、すなわち動かすことのできない「事実」と考える。 そして死んだらどこに行くのか、あの世か、地獄か、それとも天国かで争っているに過ぎない。 しかし先生の考えによれば、人間は死んだら宇宙に還る、それだけである。だからあらゆる宗教は無意味である、そのようにしか考えられないと先生は述べられた。

 五、「放射能は神の人間に対する挑戦である」。人間と神との闘いは、最後は必ず人間が勝つ。神が人間を生み出したのではなく、人間が神を生み出したのであるから。 したがって放射能や原発、そして原水爆に対する闘いも、最後には必ず人間が勝つ。このような強い確信を述べられた。

 六、「日本は世界の超一流国にならなければならない」。日本人は明治以降、西欧に追いつき、追い越すために様々な努力を重ねてきた。 「坂の上の雲」である。現在の日本はほぼ西欧のレベルに追いつき、追い越そうとする段階にまで来た。 けれどもそもそも日本が一生懸命模範としてきた西欧の文明は、それほど大したものだったのだろうか。 原水爆をつくってもそれを制御するための倫理さえ構築することができず、原発をつくっても廃棄物の処理方法さえ見出すことができない、そのような文明が果たして本当に模範とすべきものだったのだろうか。

 このような問題を我々日本人は今突き付けられているのである。一方、日本は原爆、そして原発の惨禍を受けた世界で唯一の国である。 日本は唯一広島、長崎、そして福島を経験した国として、原水爆、そして原発の完全廃絶を世界に要求する資格を持つ。日本は高い思想性を示すことにより、世界で二番でも一番でもなく、超一流の国にならなければならない。 それしかこれからの日本の生きる道はない、そしてそれのみにこそ日本の存在意義があると先生は主張された。 古田先生ご自身も福島県のご出身、また広島の原爆の「目撃者」でもある。それだけに今回の原発「事故」にはとりわけ心を痛め、生涯真実を求め主張し続ける覚悟を強められたようである。 その先生のご提言だけに、そのお言葉には格別な重みがあった。

 今年御歳85歳となられた古田先生、ますますお元気で、来年もセミナーハウスで様々な研究成果や壮大な思想を自由自在に語っていただけることを願っている。 

~古田先生を囲んで~(ようこそ広場にて、11月5日)